大変、ご無沙汰しております。
数か月ぶりのブログです。
何というかですね、「太平洋食堂」が終わって真っ白に燃え尽き状態で夏から秋になってしまいました!
何がってまあ、経理処理やら残務処理やらで、明日のジョーというのか廃人状態が続いていたんですが、なかなか公演全部の総括はできずにいます。書類のファイリングも途中です。片付けられない女です。
それでも公演はいろいろありまして、東奔西走しておりました。
9月は、三年目となる館山での音楽劇「昔々母さんが~」のトゥルーカラーズの上演でした。
地元の皆さんが、作品を愛してくださって育ててくださいました。
例年、南総文化ホールの小ホールで上演していたのですが、今年は大ホールに移し、なんと二日間で1400名のお客様にご来場いただきました。幼稚園から60才位までプロ、アマ混じっての公演。
主宰の遠藤夫妻の渾身の指導で、子ども達の歌声、せりふがホールに響きました。
いつも支えて下さるホールスタッフの皆様にも感謝です。
父母の会がこの作品を「今年は戦後70年ですよ!これをやらなきゃ!」といって、三年目にも関わらず、連続上演でグレードアップしてくださいました。感謝、涙です。きっときっと、また上演できるのではと、感動の本番を観て思いました。多様性と言う言葉がピッタりの舞台でした。地域の方に必要と思われるトゥルーカラーズの存在感は、年々、増しています。
そしてそのまま、来年1月末に上演するPカンパニーへの書下ろし、「プロキュストの寝台」の執筆に没頭しました。まあ、年を取るって疲れるね。
合間に今年8年目となるアイバンク啓発ミュージカル「パパからもらった宝もの」の京都劇場、目黒パーシモンホールの公演も終わりました。京都に行くまでに新作を書き終えようとして果たせず、地獄の京都になりました。ゲネを終わってホテルで書いていたので、京都で食べたものは、劇場の弁当となか卯のうどんです。情けないですね~~~。京都では昔の会社の懐かしい方にお会いしました。東京公演も15日に無事終わり、何と!通算1万人のお客様にご来場いただきました。今でも、映像編集でプロデューサーと彼女の娘と一緒に都内のスタジオで徹夜したのを思い出します。あの頃、次男は1歳でした。こんなに続くとは思いませんでしたが、作品を愛してくださるスポンサー、劇団BDPの御蔭です。遺産になりそうです。
「プロキュストの寝台」
これは天保時代に神がかりした庄屋の妻の話です。
何でまた時代劇?と思われるかもしれませんが、幕末から明治にかけて、日本にはすごい神がかり現象が頻発しました。徳川時代の終焉やら、明治維新の大転換の影響でしょうか。女性ばかり、一人は裕福な庄屋の妻で「中山みき」、一人は極貧の後家で「出口なお」、40才を超えた中年女性に神様が降りました。どちらも世の建替えを訴え、仏教などの因果応報の呪縛から逃れる思想と神話体系を持ちました。
まわる因果の糸車を回さない!恐怖で支配しないってすごいねえ。そして 天保時代といえば!「大塩平八郎」とか「水野忠邦」です。また、ネタバレしちゃうから、また今度書きます。
書いてる間に煮詰まって、天理市に夜行バスで行きました。天理図書館で親切にいろいろと教えていただいたのです。私が天理に行ったのはこれで生涯で四回目にあたります。
なんで、そんなに?って思うでしょうが、小学生の時、「子どもおぢば帰り」という夏の行事に三回も行ったのです。昭和50年代、夏休みに子供を持て余した中部地方の親は、そりゃもう、何にも考えないで、子供を天理教のイベントに送り出しました。すごい楽しいんですよ。
昼はでっかいプールにアスレチック、夜はひろい宿泊所で枕投げ大会、もっこ担ぎと礼拝やって、三日間、遊びまくりました。何にも考えないで地元の子ども会の三分の一近くが参加してましたね。「たーすけた~まえ」と歌も手振りも記憶のどこかにあります。
高速バスが朝6時に天理についたので、石上神宮へタクシーで行き、山辺の路というのを堪能しました。ほんとうに神域として伐採されなかった森は何かものすごい質量がありました。雨もパラパラしていて、あまりあちこち行けませんでしたが、空気が違うぞという佇まいの神社でした。もうちょっといくと、神武天皇陵もあります。三輪神社もあります。

図書館は9時からなので、兎に角時間が余るので、大教会の朝のお勤めに行き、小中高校生、千人以上と一緒に並んでみました。厳かでした、声が美しいのです。
それから天理大学の図書館で半日、あれやらこれやら読み、コピーしてその後、高木加代子(顕明の娘)の研究をなさった池田先生に、教祖の実家をご案内いただきました。140年前の庄屋の屋敷がちゃんとあるのです。
古民家といえば、川崎市の古民家園ですが、あそこもすごいけど、ここも本物。
家の門に四畳半の部屋あるってすごいです。その家の前の狭い道路が伊勢街道。昔、お伊勢参りに何万人がその狭い街道を「ぬけたとさ!するりとな!」と言いながらお参りしに伊勢まで歩いて行ったそうです。
「プロキュストの寝台」又は、プロキュストの鉄の寝台は、日本では西光万吉の「水平社宣言」に登場する言葉です。欧米では慣用句として使われる言葉です。ギリシャ神話の世界で、テセウスというアテナの王子が退治した盗賊、それがプロクルステス=プロキュストです。
プロキュストはアテナからメガラの街道に出没した盗賊で、旅人を望遠鏡で覗いて、大体の身長を目測し、鉄のbedの寸法を絶対に背丈に会わない様に調整します。そして、親切を装って旅人に一夜のbedを差し出し、背丈がそれにピッタリ合わないと、切ったり伸ばしたりして結局、殺してしまったのです。さあ、このプロキュストと神がかりはどんな関係なんでしょうね。
ご期待ください。

