舞台の花~2~
田中です。
やっと本題です。すいません。
嶽本とは何故か初めから気が合いました。
どんな本を書く人間なのかは全く判らなかったけど、良く喋り感情表現が豊かでNOと言える私とは正反対ですが、それでも考え方に大きな違いはないなという漠然としたイメージが有りました。
まさかあんな硬質な台本を書く人間だとは知らなかったのです。
人は落差を持っていると、魅力的に見えますね。それです。
名古屋でこの「理由」をやるに当たり私の中には「勝ちに行く」という考えは有りませんでした。
だって芝居って勝ち負けですか?
好きか嫌いかしかないと思うんです。
その辺が甘いと言われればその通りなんですけど。
趣旨を理解していないと言われればそれまでです。
だから「勝たなくてもいいじゃん。カッコよく負ければいいじゃん。直球だよ直球」と言い続けて居たように思います。
嶽本が持ってきた第一稿の長さは「この人・・・芝居知らない訳じゃないよね」と言う物でした。
20分の尺の本をくれないと演出はその隙間を埋めるわけで仕事が違うわけですよ。
私と杉嶋の仕事は濃縮して行く仕事でした。
稽古もどう切って行くか・・・センスですよ、それこそ。嶽本の思いはとりあへず置いておいて指定の時間に切る、そればかりしていました。
そこに役者の生理をはめていく。生理が通れば多少の無理でも切っていく。
問題は嶽本にそれを伝える仕事で、さっきも書きましたが彼女は感情表現がダイレクトです。
笑顔が一瞬で下くちびるを噛みしめ泣きそうな顔になる。
人非人みたいだなぁ私・・・と思いました。
「それじゃ繋がらない」
「役者が繋げる。役者をを信じろ」
「ここは残して欲しい」
「なぜ? これは主題じゃない」
嶽本の言うとおり血みどろでしたよ。
でも演出家権限で切りまくりました。
今でも当時の台本を見ると胸が痛いです。
行きの新幹線でストップウォッチ片手に本読みしながら最後の1分を切りました。
そして
「勝たせてあげたい」
と初めて思いました。
舞台に上がれば切った分を杉嶋がしっかり埋めてくれました。
私はついていく。
そう幕が上がれば主導権は杉嶋に移動する訳で、三権分立とまでは行かないものの台本と格闘する事に大半を費やし稽古らしい稽古をしなかったのに杉嶋はやりきった。
同じ舞台に立ちながら「こいつかっこいいなぁ」と思いました。
そして負けて、勝ったチームを見た時腹が立ちましたね、自分に。
面白かったと沢山の方が言ってくれたんですよ。
有りがたいし、救われたけど「どうせ負けるなら何故本人に切らせてあげなかったんだろう」ってね。
そりゃ切れないですよ作家は。
でも切らせるべきだった。作家の大会なのだから。
そうしたら嶽本はこんなに悔しい思いをしなかったんじゃないかってね。
名古屋の照明さんが「最後の5分の急展開凄いよね、(役者として)大変だね」と言いいました。
ええそりゃ大変でした。作家が作った階段を壊して飛び降りたんですから。
演出としては最低ですね。
忘れられない舞台って幾つかあって、いろんな意味で忘れられない訳ですがあの名古屋は私のターニングポイントでした。
改めて役者ってスゲー、作家ってスゲーって思えた宝物の様な公演だからです。
それはリーディング版「理由ー全幕ー」も同じなんです。
勝ちに行くとはやはり思えませんが、役者の人生、作家の強すぎる思いが舞台上にキラキラと輝いて見える時が有ります。
役者はもちろん関わった人の性格が見えるような舞台じゃなきゃ物足りなくなりました。
演出ですから少しは演出も褒めて貰いたいけど、そんな事どうでもいいとさえ思う時が有るのです。
舞台の花は形じゃないんです。
目に見えない物が見えた時それ自体が花だと思うんです。
そこに昔から好きなプロフェッショナルなスタッフワークが加われば・・・怖い物なんてないですよ。
私は、ですけど。
ええ、理想論ですけど。
そう・・・思い出しました。
初めて名古屋の台本を貰った時「ヤメ××レ」と心の中で叫んだ事を。
その叫びも嶽本のピアノで花になっていると思っています。