舞台の花
こんにちは田中です。
まずわき道から話を始めますが、稽古場で役者さん達と芝居を固めて劇場へ入ると途端に仕切りが舞台監督に移動します。
時間の使い方から何までです。
これが演出をしていると心地いい。
仕切られる快感と安心感、幕をあける勇気みたいなものが一気に注入されて一時的に元気になります。
追われる恐怖から解放されて楽しみになって行くんです。
私は仕込みには全く役立たない女で、昔なぐりで(金づちです)親指をかすり土台作りの段階で「装置が汚れるから制作手伝っておいで」と舞台部から追放されました。
滴る血を止血しながら制作の所に行ったら「数字が読めないんだから衣装さんのお手伝いしてきて下さい」と言われ、衣装さんには「ミシンが踏めないなら用はない」と言われ、小道具部には・・・結局どこのお手伝いもできずに悲しくなってじーっと舞台の入口から仕込みの美しいまでの流れ作業を眺めて居た事が有ります。
今はミシンも踏めますが、相変わらず仕込みでは邪魔な人間である事に変わりありません。
舞台装置も大概出来てくると同時進行していた照明部さんに舞台が明け渡され蛍光灯が消されます。
明かり作りの時間です。
暗闇になると途端にわくわくする私は、まぎれられるのを良い事に客席の後ろから明かり作りを眺めるのが本当に好きでした。
最初は何の明かりかなんて判りませんから非常に無責任に見て居ます。
すると突然「誰々は何々のシーンでどこに座っているか・・・」といった会話が聞こえてきます。
やっと私の仕事が始まります。
シュートですね。
演出はこの辺りから見て居ればまず間違いないのでおもむろに出動。
だから最近はシュートの時間辺りを自分の入り時間にしています。
言い訳としては「お昼のお弁当が一個少なくて済むからゆっくり入ります」です。
メメントCではそんな事は出来ませんがね、でも本当に演出なんて仕込みに役立てないならただのタダ飯食いです。
照明部さんが夕飯食べ始めると音響部さんのサウンドチェックです。
小さい小屋ばかりの私はこの時間は足音さえ立てないように雪駄を脱ぎます。
そしてわくわくしながらスピーカーから流れる本当の音を聞きます。
やっぱり稽古場とは全然違います。
だいぶ昔の話ですが嵐のシーンから始まる物語を演出した時に前後左右に揺れる船を乗客に扮するの役者の身体だけで表現しようと頑張った事が有ります。
動きを合わせて、間を合わせて・・・大変でした~役者には無理させました。
稽古を見ながら音響さんに「この動きは変わらないんだな?」と何度も聞かれました。
「そんなにつまらないかなぁ・・・」と不安になりながらも「変わりません」と言い続けました。
稽古場に音響さんが入って何日目かに嵐の音が来ました。
稽古場で感涙・・・あ、嵐だぁぁぁ
だからその公演のサウンドチェックは本当に楽しみで一番良い所でドキドキしながら聞いてました。
結論から言うと下北沢の駅前劇場が船になりました。
大袈裟じゃないですよ。船酔いしたみたいに気分の悪くなったお客さんが居た位なんです。
そして私は嵐の音をを優先させて、杉嶋も出て居たのですが、彼女の声を潰してしまったという失敗をしでかしました。
それはその後の私の教訓になりました。
「役者を壊してはいけない」
本当に反省しました。
そのシーンにはもう一つ大事な事が有りました。
上下に居る舞台監督と舞台監督助手をしてくれた後輩が、船のドアを良いタイミングで揺らしたり、バケツの水を海の水のようにドアの隙間から勢いよく放ってくれたりしました。
まぁここでも私は見てるだけでしたが、全部ひっくるめて舞台の花がここに有ると思いました。
そしてそんな風に私を育ててくれたスタッフさん役者さんには感謝以上の感情が有ります。
きちんと稽古したら想像以上の物を返してくれる事学びました。
御褒美ですね。
なかなか本題に入れなくてごめんなさい。
そんなこんなで嶽本とその後出会い、その数年後名古屋が有るわけです。
要は全力投球してしまう20代、30代を過ごして・・・今もですが、そんな3人組があへてカメと自分たちを呼び、そうする事で長く芝居を続けようと、そんな事を思って出来たのがメメントCです。
わき道長いですね。
そうなんです、私って演出してないときはなかなか要領を得てお話しできないんです。
そんな手が有ったか、と思ったので私も使います。
・・・えっと次回に続く。