You continue to conceal very important secrets -15ページ目

You continue to conceal very important secrets

Please help NIRVANA"LITHIUM" fan.
Help me get my feet back on the ground. Please, Please help me!

(引用文は追加予定)

前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

第2章 戦争の放棄
第9条 戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

プライバシーを軽視された生活の強制を私の同意も説明なく受けている日本人の一般市民です。

私生活を見世物にされ通信手段も覗き見され、国家や他者によって侵害されたり公開されたりしない私生活上の秘密を私に説明なく私の同意なく公開されているようで、そのプライバシー侵害の状態がとても精神的に苦しいです。

そして私が気付き出す2002年より前からそうした事態が起きていたようで、匿名掲示板2ちゃんねるで、同じ日本人である私に対して、「韓国・朝鮮人である」かのような洗脳を行い、そうした方々に対する失礼極まりない差別的書き込みの連帯をしていて、私はそうした表現を見て読んでいて激しく心が痛みました。でもネットの公式メディアでは誰一人その事の事実を語る人がおらず、それ以前に2ちゃんねる上の韓国・朝鮮人への差別的表現は、2ちゃんねるハングル板で2002年より前から行われていたようで、その事に気付く前に山形浩生のファンクラブ部長をやっていた玲奈の2ちゃんねるでの匿名での書き込みを本人と自覚せず、私の個人的な掲示板に掲載し、その後、ファンクラブ部長が悪しき表現を私の知る事ができる範囲で2ちゃんねる上でしだし、2ちゃんねる社会学板山形浩生スレという、山形浩生本人も書き込んでいたスレにその表現を掲載しだしたら、玲奈が私を山形浩浩生ファンサイトから締め出し、その後、取り巻きと山形浩生と共に2ちゃんねる哲学板で2002年3月~4月くらいにかけて私を言葉でリンチし、警察も隠していた私の通信傍受結果から得た情報をもとに、私を自死へ追い込もうとしたようです。

山形浩生のファンサイトの管理人は、「真理が「死」だった場合あなたは死ねますか?」と書き込んで場の空気を支配しようとして取り巻きをけしかけたようでした。その後も言葉での間接的な表現も続き、私が通っていたチャットからも締め出され(最初、玲奈が荒らしに来ていて、その後何かが私の知らない所で各メンバーに行き渡り、私が悪役に仕立て上げられたようでした)、私の側には正確な情報が届かないままに、直接文字に残る形式での愛と教育を伴った承認の言葉は与えられず、いまだに事実は伝えられないままです。

そして山形浩生勝手に広報部からの締め出しは、そのまま他の共同体からの締め出しであるかのように、己の共同体からの追放という勝手な判断を警察権力を背後に妥当性の高さを昇格してもらおうとしていたようです。

どうか山形浩生勝手に広報部部長の悪しき言論活動の汚染の介入のないところで、他者と秘密が守られた互いに承認し尊重し合う関係を築かせてください。


プライバシーを軽視された生活中の日本人の一般市民である藤田信之より

1、家族会代表者を吉田豊くんにして欲しい。

2、プライバシーを認めて欲しい。

◆プライバシー

他者や国家により公開されない個人の私生活上の秘密のこと。他人に苦しめ悩まされる事なく、そっとしてもらいたい生活上の自由のこと。

3、家族会と連帯したい。

4、隠して来た事実を明らかにした正常な対話の対象として欲しい。

5、私の同意を得ていないし事情も説明されていない私生活の勝手な公開をやめて欲しい。

6、私の同意を得ていないし事情も説明されていない通信手段の勝手な公開をやめて欲しい。

7、日常の中で幻聴として処理される音声を流すのをやめて欲しい。

8、私の事は藤田さんと呼んで欲しい。

9、笑ってはならない状況に置かれているなら、「笑うな!」と怒鳴って欲しい。

10、もっと敬意を払った態度をとって欲しい。

11、教育的な言葉を与えて欲しい。

12、どこの機関が私を分析をして来ていたのか明らかにして欲しい。そして私に無断で個人情報を収集し、分析対象として公開して来た事を、謝罪して欲しい。

13、一般市民の私生活を本人に無断で公開して来た事を謝罪して欲しい。

14、家族会メンバーのメッセージを伝えて欲しい。

15、私を対等な人間とみなしていない大物有名人さんの声を流すのをやめて欲しい。

16、私生活や通信手段やノートを勝手に覗き見て、それらを私の許可なく勝手に公開するのをやめて欲しい。そうした状況の強制をやめさせようとしないし、私を対等な人間として事実を明らかにした文字に残る形式での対話の相手とする気がないにもかかわらず、「I like you」「I love you」「Hello」というのをやめて欲しい。

17、殺伐とした状況が起こっていて、私の救済のために戦ってくれる人がいるなら、その人と正常な連帯をさせて欲しい。

18、山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈とその支持者から分離独立した一人の人間として、一般市民としての権利が守られた普通の日本人として、日本社会で生きさせて欲しい。



◆質疑応答

「藤田信之さんは在日外国人ですか?」

藤田信之「いいえ、普通の日本人の一般市民です」

「藤田信之さんは女ですか?」

藤田信之「男です」

「藤田信之さんは障害児ですか?」

藤田信之「愛に障害のある(自分と他者と健全に愛する事がうまくできてない)人です」

「藤田信之さんは苦痛は嫌ですか?」

藤田信之「嫌です」

「藤田信之さんは死にたいですか?」

藤田信之「心身ともに健康に生存したいです」

「藤田信之さんは見世物生活の強制を受けていて嫌じゃないですか?」

藤田信之「嫌です。今すぐやめて欲しいです。そしていつから私の同意のない私生活の公開の強制が行われてきたのか説明して欲しい」

「藤田信之さんは山形浩生とファンクラブのヘッドをやっていた玲奈についてどう思いますか?」

藤田信之「今後一切、関わらないで欲しいです」

「山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈支持者はどうしますか?」

藤田信之「謝罪し事実を説明しないなら、訴えてまとめて法的処罰を下してもらいます」

「隠してきた重大な事実をストレートで話して欲しいですか?」

藤田信之「話して欲しいです。とくに今まで対等な人間として対話をして来た事のある直接の知り合いから」

「一番話を聞きたいのは誰ですか?」

藤田信之「家族会の内、私を対等な人間としてみなしてくれた事のある人です」

「藤田信之さんは日々の私生活があなたの同意なく勝手に覗き見され生活態度にケチをつけられる事はどう思いますか?」

藤田信之「何をやってらっしゃるんですか?あなた方は?と聞きたいし、今すぐそうした行為はやめて欲しい。そういう待遇は不当だ、と言ってきた人と連帯したいです」

女性は化粧に時間を使い、「美しい」と言われる事に自己愛の満足が得られる人が多いという事は、逆の言葉を言われると自己愛が激しく傷つく人が多いという事ではないか。

だから知的に劣等感を持ち(優秀な兄を持ち兄は賢い賢いと言われて育ち、自分はテストで100点を何度かとっても関学受かって親族一同誰からも承認の言葉と笑顔でもって褒められなかったとか)、オリジナルで立派な表現をしても、承認の言葉を与えられず、本人に状況を自覚させず間違った表現や愚かな表現をさせて、それを見下し繰り返しバカにすると自己愛が激しく傷つくのではないか。

繰り返し激しく心が傷つく事からは、記憶力の低下もおこる可能性がある。そうした体験を幻聴として処理される形で体験させ妄想として処理し、単なる統合失調症認定し、認知症認定するとしたら医者の倫理として間違っているように思われるが、事実を語ってくれる人はいるのだろうか?

そうした状況でも残りやすい記憶というのは、他者と思い出を共有しているものではないか。

IQの測定方法は入院中の一時外出時に見つけた(それまで置いてなかった)図書館の心理学コーナーに置いてあった本によると、年齢相応の知識を持っていたらIQ100らしいから、中学時代に日常的に勉強を頑張ってなかった人で、国家の同意を得て公式成績が低いという事が分かると、その分野の知識を問い、本人の同意なく油断している所を公開したら、歳をとっている程IQが低いという結果が出るのではないか。

そういえば弦月会1回生の時の春合宿では、中学レベルのテストが課され、物理学の分野では関学大理系入試2006年では課されなかった電磁気学の分野が課され、おそらく他の弦月メンバーの8割以上は学校教育で習わなかったか入試で使わなかった高校倫理(心理学・宗教学・哲学・思想分野が中心で、正義とは何か、善悪とは何かをそれに特化した形で問う、本来の倫理学ではなかった)の分野は課されなかった。

私の字はあまりにも汚いのでネットに載せれるものではないかもしれないので(字の綺麗さと知性はどのくらい関係しているのだろうか?)、こちらに文章をおこして表現してみて、載せた絵もアップしようかと思います。(お父さんが買って来たブラインドタッチが打ちづらいように工作されているパソコン(ハッカーに誤変換が生じさせやすいようにコントロールもされている可能性がある)と、お父さんが誰かにはっきりとした白色を写せないように工作させたデジカメの画像で)


ちなみに、功善とは私が賢者の名言を書く時に使う、私が何度も涙を流した好きな漫画「東京喰種」という作品に出てくる最強クラスの不殺生のキャラの名前です。


に関して参考にさせていただいた賢者は、仏教徒キリスト教徒、クリシュナムルティ、姜尚中先生、フロイト、佐藤寛先生(元担当医でフロイトが好き)、などです。(主に本から得た知識

ここ(家族ノート」からの引用)で書いている、青文字私のオリジナルの要素の強い表現です。


+++

「家族ノート」から

2015.9.22 お父さんお母さんへ (信之入院中繰り返し言っていた事です。留守電にも入れていましたね

功善:愛とはその時々の問いかけに答えていこうとする意欲のこと。

愛のあるところに義務的関わりあいは存在しません。

愛とは人間的コミュニケーションをして誠実に対応し真実を伝えること。

愛とは相手の心身の苦しみを抜き、解放しようと行動を起こすこと。

愛とは相手に敬意を払い尊重すること。

愛とは攻撃性や自死へ向かうエネルギーを中和する力のこと。

愛とは人を助けようとする力のこと。

愛とは家族から始まるものです。

愛とは人を結びつける力のこと。

愛とは他者と絆を持とうとし保とうとする意欲のこと。

愛の反対は無関心というより無干渉ではないでしょうか。

愛の反対は正常に関わり合いにならないことではないでしょうか。

愛し合い尊重し合うことのない共同体や社会は存続していくことはできません。

愛とは関連する言葉で私が簡単に涙を流してしまう言葉です。


お父さんからもお母さんからもネットでも(仏教徒キリスト教徒以外からは)、課金制で知恵を与えているカキンの王子達(自称左派の精神科医である中塚尚子含む、宮台真司も)からも、以外からは与えられたことのなかった教育的言葉です。

愛のある教育のある家庭にしましょう!

2015.9.22 Nobuyuki より


黒崎一護の家庭

お母さんお父さんへ

甲山町仁明会病院入院中に描いた絵です。

この絵は高く売れるかもしれませんが、このノートにふさわしいと思って、ここにはります。

感想下さい。

信之より


我愛羅の家庭


ちなみにボールペン一発描きです。

絵に関しては教育は小中高の学校教育以外では、吹田さんという(弦月会時代の)人以外からは受けていません。

最近まで、この絵がはられていたスケッチブック誰かに盗まれていたようです。

+++

ある左派の知識人2人の間接的表現「(信之が引用改造した)サルトルの(表現の)言う通り」

通りすがりのつぶやき「ジジェク関係の引用改造文で凄い事になっている」


「教員から聞いた話によると、歴史上、差別により国家による暴力が肯定される事があった」


「ただのバカじゃドーキンスを理解できない」

綿矢りさはバカか?(違うだろ?)」


信之「私が倫理的に(?)食べれないものが増えたのは、「<es>ノート」に書いた「象徴交換と死」の引用改造文せい?」

父親(藤田勝様)の間接的表現「その通り」


信之が冨樫義博「HUNTER×HUNTER」から切り取って見せた(私が泣けるシーンだから)絵を指してその内容を表現したら」

父親(藤田勝様)、それまで人間的な愛のある表情をされていたのに、急に真剣な険しい表情をされた。


「世の中には書いてはならないし言ってはならない事があるのかも。(あるタイプの倫理観を持った人には)」

藤田信之「人間が象徴秩序のネットワークのある境界線を超えると、その生は軽視される事がある(ジョルジョ・アガンベン参考)」


「(日本音響研究所から)ウソをついてごめんなさい」(信之は事実を共有している人から、隠している秘密に関する事で初めて謝罪された 2015/9/21)

「日本音響研究所の外は凄く殺伐としている」

「科学警察は弱気なんか見せられないよ」

「信之が本当はどういう人か、科学警察は知っている」


信之が見世物にされている通信手段(パソコン画面)で公開している事になっているかもしれない、「寄生獣」と「攻殻機動隊」関係の画像で、科学警察の悪を暴いた事で凄い事になっている。


言論界における課金の王子たち(左右問わず)」の事実を暴いた事で、猛反省の気分に陥った人がいる。


ミザイストムの絵をもっと描こう」

「絵を描く能力はムッチャある」

「絵の下絵(文字を書く前)は素晴らしい」

「信之の描く絵で大論争が起きている」

信之「知性を感じるから?

「知性を感じるどころじゃない」


場を共有した人の間接的表現「藤田さんが予想しているより高い値段で藤田さんの絵は売れる」


ある学者の間接的表現「ドーキンスの心理的影響信之の心の問題が話題になっている」

ある左派の言論人の間接的表現「村上龍「タナトス」からの引用改造文を読み返しましょう」

信之の母親が悪いという人もいるが、信之としては無罪か。事実を説明されていなかった人の内の1人だから。信之は現在も継続中の事実を説明されていない人だけど。あといじめられている事に気付いた?表現を幻聴として処理される音声で堂々とする人がいるのは、リンチというと社会的には許されない事で制裁の対象となって当然のという意味が強く含まれるから、あえてそちらを使わない人達が多いのだろうな、幻聴として処理される音声では。あと個人の能力その家庭の問題に還元するのではなく、隠された秘密リンチ被害者に明らかにした、対等な人間としての正常なコミュニケーションによる解決をしませんか?」

正常に社会参加し忙しい自分を誇って、見世物生活中の知人を放置し差別の目でそれを眺めているあなたのような人の為に新しいテーマを作りました。


そういう人はどうして自分の公式メディアで反戦平和・生命尊重・コミュニケーションによる問題の解決の重要性を掲げないのだろうか?

→国家による暴力を肯定していて、被害者を正常なコミュニケーションによる救済の対象としようとしない加害者側に加担しているから


どうして国家による重大な権利侵害行為の下に置かれている私の置かれた状況の事実を伝えないのだろうか?

→差別していて仲間だとみなしていないから


反戦平和・生命尊重・コミュニケーションによる問題の解決の重要性を訴える事に参加せず、そうした事を公式に表明しない自分を「忙しく社会参加している」というのと、世間で評価される大学の卒業者であるというだけで、特別な存在であるかのように勘違いしているのだろうか。


「忙しい自分が嬉しい、好きって思えるようになれればさらに差別が楽しくなるかもしれないね。口では、私この頃ハードスケジュールなの~なんて言ってため息つくけど、実はそんな充実した日々を送っている自分にとても満足している。そういう自分に多くの国民が人格改造されるのが、整流器としての学校教育であり人生の正道を歩いている人達の社会人生活なのかもしれないね。そしてそこから外れている人への差別意識も根付いていく。そういう生き方を実践しているのが幸せだって思っている人が結構いるのは、そのハードスケジュールが自分の有能さと人気の証だって勘違いしてて、そこから外れた者の私生活を眺めて差別の連帯を築き性的慰安の対象とする事が、数少ない贅沢な娯楽の一つになっているからさ。会社に利用されているだけなのに、それに気づかないで粒々の仕事押し付けられて頑張って、それで世間の人が休みの日も働いている自分と、反戦平和・生命尊重の活動や被差別民と正常なコミュニケーションを公式メディアでしない自分を誇っている

綿矢りさ「インストール」参考

◆信之が思っているよりいい子はいる
◆良心の介入 ◆人道左派
◆バタイユ関係の記述で危ういものがあるので、それは消した方がいい
◆性的なネタを入れたらダメな時と場合がある
◆何らかの状況で笑っていたら「劣悪な存在」だと思われる事もある。
でも本当は信之はどういうヤツかは科学警察は知っている。
そしてその事実は公開して説明したら首になると科学警察は間接的な表現で幻聴として処理される音で語っていた。
◆津田くんと飯野賢治さんの中間みたいな顔の男性が、女性と二人で近所を歩いていた。

向こうは私の近くを通る時、「劣悪な存在」を意味する言葉を発していた。
「私が何らかの状況下で笑ったからですか?」
と離れて行った時につぶやいたら、2人はピタっと歩みを止められ、5秒後くらいに再び歩き出していた。

礒崎陽輔(自民党憲法起草委員会事務局長)
「立憲主義なんて聞いたことがない」


片山さつき(自民党参議院議員)
「天賦人権論をとるのは止めようというのが私たちの基本的考え」

(天賦人権説とは、すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、 幸福を追求する権利をもつという思想。byウィキ)


安倍晋三(内閣総理大臣)
「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」
 →憲法第99条、国会議員の憲法尊重擁護義務違反 ?


麻生太郎(副総理・元総理)
「ナチスの改憲手口を学んではどうか」


菅義偉(内閣官房長官)
「国民が冷静な議論などできるのか」


石破茂(自民党衆議院議員 国務大臣
「国防軍にしよう。出動を拒む兵員は死刑にしよう」
「反対デモはテロ行為と同じ」


細田博之(自民党幹事長代行)
「憲法はただの法令だ」


西田昌司(自民党衆議院議員)
「そもそも国民に主権があることがおかしい」
「婚外子相続権平等の最高裁判断は非常識」


船田元(自民党憲法改正推進本部本部長代行)
「立憲主義を守ると国が滅ぶ」
「公益のために私有財産を没収できるようにしたい」


脇雅史(参議院政治倫理審査会会長・自民党)
「一票格差違憲判決は取り消してほしい。はなはだ変な判決だ」


中谷元(防衛大臣・自民党)
「憲法を安保法案に適用させる」

スラヴォイ・ジジェク「暴力 6つの斜めからの省察」参考

◆きわめて普遍的な倫理でさえ、境界線を設けてある種の苦しみを無視せざるをえないのではないか。

◆ラカンのいうアクティング・アウト――つまり、ことばにも思考にも翻訳できない、耐えがたいフラストレーションの重圧をともなった、行為に向かう衝動――である。象徴界を特権化した世界で科学警察も背後につけて相手を見世物にしていると、他者に愛されず心理的に傷つけられ、自分のオリジナルの言語表現能力の発揮がうまくできない精神状態へと追い詰められた者が、物理的暴力でエネルギーの発散や言う事に従わせる事の強制を行おうとしても無力であるという事である。そもそもミザイストムはそんな人じゃないけどね、じゃあねぇ、バイバイキーン。




スラヴォイ・ジジェク「「テロル」と戦争―“現実界”の砂漠へようこそ」参考

◆被害者の<日本人>が置かれた状況に関して2ちゃんねるで報道されたときのその報道姿勢の真の異様さは、あたかも<日本人>が真の意味で犯罪的な悪の工作員であることの究極的証明が、被害に曝された<日本人>が者と同じような人権プライバシーや対等な人間関係を求め、加害者に責任をとらせて法的な処罰を求めようとしたことにあるとでも言わんばかりに、<日本人>が被害者で一般の日本人の人間である事が認められなかったことにある。そして国家による暴力や人殺しに反対する護憲派左派の立場でありながら、国家による<日本人>に対する憲法違反行為を民主主義の名の下に肯定し無干渉の中に放置し教育的言葉も与えず、「近寄りがたいキショいバカ氏ね」と間接的表現で言い心理的に傷つけ、自らの優位性を「オリジナリティー」の中に強く見いだそうとするエセ左翼の主張の矛盾点もある。このパラドクスを、「単なる気持ちの悪い愚か者は対等な人間として相手にする価値がないし、様々な法的権利を奪い取っても妄想として処理してもいい」という考え方のなかに刻み込もうとする人もいる――たんなる自己の権利の主張と反戦平和を訴えるための言論活動が、それだけで悪と見做される不思議な闘いだ。こうして新たな存在が出現することになる。我ら<日本人>は、民主主義の名の下に活動するエセ左翼差別主義者でもなければ右翼でもなく普通のアホでもない。人道派であり、武力による解決ではなく愛の重要性とコミュニケーションによる解決の重要性を説く者である。
国民の民主的な意思による差別の連帯により、国家による暴力であるプライバシーや通信の秘密を剥奪された監視付き生活を強制された<日本人>の当事者に対して、精神的支援や対抗言論の組織化などを仲介する中立的な人道的組織を構築することが急務であり正義である。

そうした役割を引き受けるはずの存在が、科学警察も背後に置いた一方の玲奈真理教の活動に汚染されないように、客観的情報は得つつも、彼らから分離独立した立場からの<日本人>の支援が必要であろう。

◆まるでありふれた風景を見たかのような通行人の無視、それが科学警察も背後に置いた玲奈真理教による<日本人>に対する嫌がらせが普通の出来事として受け容れられる素地を作りだす。直接的で野蛮な攻撃であればありそうにもないことが、ここでは可能になってしまうのだ。他者を<聖なる人間><邪だと人民に判断された人間>として扱うようにしたとき、それと似た無視、ある種の倫理的エポケーが動員される、と私は主張したい。
◆エス(共同幻想と逆な私的幻想の世界)に追い込まれた存在を見世物にして差別の連帯を築いた、超自我(社会的権威)と自我(正常に社会参加している者たち)との秘められた協定がある、とサヨクの<日本人>は主張している。

◆キアヌ・リーヴスが演じる主人公が「本当の現実」に目覚めるとき、彼は廃墟のように荒れ果てた風景を見いだすことになるだろう。抵抗派の指導者モーフィアス(モルフェウス)は、皮肉な挨拶を呟くのだ――「<現実界>の砂漠へようこそ!」と。

◆アガンベンが<聖なる人間><邪だと人民判断された人間>という考え方に則って展開する議論がかかえる問題は、「啓蒙の弁証法」を論ずるアドルノホルクハイマー、あるいは規律権力や生権力を論ずるミシェル・フーコーが展開しようとした論旨にすでに刻みつけられている。デイヴィッド・ライアンの監視社会論と接続すると、<日本人>の置かれた被差別状況が更にうまく記述できるのかもしれない。民主主義立憲主義精神科医療などといった論題は、「生権力」の規律的メカニズムにとって好都合なやり方で、科学警察や公安警察による<日本人>に対する権利侵害行為の肯定という形で欺瞞的回収が図られたりする事も、エセ左翼の立場からはあり得る。

ここでの根本的選択は、「啓蒙の弁証法」に記述されている反ユダヤ主義から学べる所もある反<日本人>主義と、ハバーマスが深く研究したコミュニケーション的理性との間にあるように見える。
◆攻撃されながら我慢だけが求められるといった日常的な屈辱に<日本人>の<私>が曝され――他者と対等な人間としての自己の権利の主張のために言論活動しようものなら、ふたたび<生意気なウザいバカはルール違反>として排除されそうになる。そうした状況ではどうしたら、沈黙し<眼差し>を向けるくらいか模倣表現が多い無口な<日本人>に、人間としての尊厳を保持することができるのか。
◆様々な法的権利やプライバシーの傘の下に庇護されている者と、その保護から排除されている者とを分け隔てる壁が、<日本人>と見世物放送を眺めている人達の間には存在する。



浅田彰「「歴史の終わり」を超えて」参考

◆K「勝ちをおさめたかに見える自由民主主義の「世界新秩序」は、「内部」と「外部」の境界線によってますます暴力的に分断されつつあります。「新秩序」のなかにあって国家による法の保護を享受している「先進国」の人々と、そこから排除されて最も基本的な生存権すら軽視されている「後進国」の人々を分かつ境界線です。しかも、それはもはや国と国との間にとどまらず、国の中にまで入り込んできています。かつての資本主義圏と社会主義圏の対立に代わり、この「内部」と「外部」の対立こそが現在の世界情勢を規定していると言っていいでしょう」

D「一見プレモダンと見える要素も過去の残滓ではないのであってみれば、近代化によって徐々に克服されるとは考えられない……」

K「それどころか、モダンな資本主義システムとそれが生み出す<外部>への差別の連帯は、エセ左翼の中でも生じていると考えるべきでしょう。現実に、そういう<外部>の世界で、どれほどの愛の不足に苦しむ人たちがいるかは、<日本人>の実例を経由して想像できる所もあるでしょう。日本にもシステムの「内部」に属する対人関係が豊かな人々がいる。と同時に、プライバシーの保護から排除された愛について病んだ孤独な<日本人>もいるのです。SEALDsの街宣活動が戦争法案採決間近にあった大阪のような大都市には、沢山のホームレスがいます。<日本人>が権利侵害行為からの救済のために対話をネットで持ちかけた所、仁明会病院などでの不当な扱いを容認して来たエセ左翼の精神科医の知識人や家族会メンバーで変な選民意識を持った存在が現われました。彼らは10年以上前から<日本人>の私生活を本人に知らせず眺めて、本人に察知されないような所で民主主義的な差別の連帯を楽しみ、科学警察の活動を支援し、性的慰安の対象として来ていました。そして<日本人>に対して精神的な窮地に陥っていても教育的な愛のこもった言葉の支援は無料で<日本人>の見える範囲では一切せず、内心まで覗き見されている事から来る自責の念から嘔吐したり自傷している姿も見てきていました。そして平然と言葉や音声で精神的苦痛を与える事に加担し、置かれた事態の核心に触れるような表現には直接的には正常なコミュニケーションの相手とならず、妄想として処理するか無干渉の立場をとっていました。ところが、彼らや彼らの友人はいたって平然と、高度な文化的活動や社会活動に積極的に参加し<よく生きる事>を実践している事を表明しているか、オリジナルでの表現の乏しい活動であるリツイートや、Facebookでのシェアや「いいね!」や、単なる仲間内での盛り上がった写真の提示などを行っている。「<日本人>は本人たちが可愛がっているネコの<キテレツ>や<ドラえもん>や<綺麗なジャイアン>や<サトラレ>や<いちご大福>みたいなもので、この頃はああいう相手にしたくない被差別民が再びネットに出てきて真っ当な表現をしだし、以前の自由な差別表現も匿名掲示板でしにくくなって残念だ。それにしてもいつになったら終わるんだ、この象徴での闘いは?早く氏んだらいいのに」と言うのです。左翼や国家による暴力の否定派を自称している人達がですよ。要するに、そこには別々の二つの世界があるのです。彼らの仲間内にはたとえ経済的には貧しい立場にあっても友愛関係に満ちた連帯がある。他方、愛について病んだ孤独な<日本人>の側には親友と呼べる人が一人もおらず、世界で一番多くの異性にヌカれた2次元キャラクターである綾波レイのような、人間的感情表現がどこか病んでいる愛に飢えた人達がいる。科学警察や公安警察は、その<日本人>の精神的虐待を、差別主義者達による民主的な支持がある公営の盗聴盗撮という見世物生活の強制や、心理分析や所持品没収や個人情報収集と分析と、守秘義務違反でのそれらの漏洩により背後で支え、精神科医療は統合失調症としての処理で妄想として処理する事に加担している。警察側としては<日本人>に対する秘密の保持は、芸能人クラスの美人さんを外出先に呼び寄せてくれる事で善意のサプライズの意味もあるかのように示す事もあるが、文字に残る形式での対等な人間としての、今まで<日本人>側に隠されてきた<日本人>に対する重大な権利侵害行為の事実や事情の説明やコミュニケーションは自らは一切行わず、ただ接触対象者や家族会メンバーの過半数の同意を得れたらいいと思っているようで、そして、科学警察による権利侵害行為という国家による暴力を民主的に支持し、匿名で差別の連帯をして来た人達や科学警察は、愛の貧者である<日本人>が物理的移動をし、見世物放送を眺めて来て無干渉を通してきた自らの実家の郵便ポストに変な投函はないか絶えず警戒し、あろうものならラブレターであろうとも一般公開する気であるようである。私はこのような事態の事実や、非常に玲奈真理教に偏ったものの見方の拡散は、世界規模で起こっているのではないかと思います」

D「こうしてみてくると、現代世界の左翼や国家による暴力に反対する者も含めた人達のもっとも鋭い矛盾は、友愛関係の「内部」と<外部>の境界線上に見いだされると考えられますね」

K「まさにその通りです。だれが「内部」に入り、だれが<外部>に排除されるかをめぐって、熾烈な闘争が展開されているのです」

E「「外部/内部」の境界線を設定するのは、過去のプレモダンの残滓ではなく現代もモダンとの関係の中で生じているもので、<外部>に置かれた者はその生を軽んじられる事もあり、武力による解決ではなく対話による解決を求めている平和主義の<日本人>のペンでの活動さえ、モダンの内部で差別の連帯を民主的に楽しむ人達からはガベイジタイム(生ゴミ時間)と呼ばれ、厳重な監視下に置かれている。そういう人は世界にどのくらいいるのだろうか」

D「最も極端な玲奈真理教的振る舞いをしている者は、自由と民主主義の砦を守る振りをすることで、自分を「内部」の正義に位置づけようとしている。ここでの矛盾は、この情報空間において<日本人>に対する「法と人権と自由とプライバシーと国家による暴力からの抵抗」の砦となっているのは、<日本人>の確認している範囲では、本多ヒッキー連盟と音楽への逃避くらいだということです」

K「柄谷行人の強調するように、われわれは、システムの中にありながら、超越論的反省によってそのことを意識することはできるし、そのときだけシステムの外に――でなくとも境界に立つことができる、というのがスピノザの本質的な論点ではなかったでしょうか。そして、あなたの批判されたのではないような知識人や人道左翼の場所があるとしたら、それはそのような境界に立場を置き、正常な愛のこもったコミュニケショーンをしようとする者達に他にないと思うのです」



スラヴォイ・ジジェク「快楽の転移」参考

◆無意識は「疎外された心的実体」を表しているのだ。

◆民主主義的な差別の連帯により、疎外された者を<劣悪な者>か<異常者>に分類する事で見世物生活の強制と心理分析結果の公表という国家による暴力を看過する事が行われているのかもしれない。

◆われわれの意識された意図は、言語の形で表現しうるものに一致するから、「正常」とは、われわれの動機すべてを、公に表現できる意図、間主観的に認識される言語に翻訳できるということである。病的なずれを引き起こすのは、抑圧された欲望である。それは公のコミュニケーションから排除されて、強制的な身振りやふるまいに、あるいはねじれた<私的>な言語の用法に、そのはけ口を見いだす。

◆フロイトが超自我と命名したものは社会的権威を精神内部に延長したものとして登場する。

◆<日本人>においては、その主体は、意識された自我には充分な愛を伴って結びついていない、他者の言語を表現しているのだ。言い換えれば、<日本人>の表現は公のコミュニケーションからは排除された、山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈真理教の悪事の暴露に連なる、公のテクストの断片が多いのである。

◆<現実界>はまさに<象徴界>の把握を拒み排除するものであり、したがって、aという姿のもとでのみ<象徴界>の内部で検出できるものなのだ。

◆現代日本における最大の匿名掲示板に話を戻そう。そこでは正規の公の法の支配が、無力な<日本人>を在日韓国・朝鮮人への差別を経由して遠まわしにリンチする、自由で民主主義的な差別の連帯を伴っていた。玲奈真理教徒は言語表現での法の違反は、宮台真司が最大限認めるべきだと主張していた「言論の自由」の名の下に赦してもらおうとして来た。とくにそれが玲奈真理教信仰のコードによって正当とできる場合はそうだ。共同体はその人をなお「自分たちの仲間」と認めるのである。

ところがこの共同体に付属する特定の形の違反を否定する正義の人道左派の立場を取ろうとしたとたん、その人はすぐに特定され「自分たち玲奈真理教の仲間ではない」とみなされ、個人情報まで調べ上げられる対象とされAA(警察アート)のネタとなり文字表現でリンチを受けるだろう。たとえば、玲奈真理教による言葉や音声でのリンチに参加するのを拒否し<日本人>と連帯しようとしたり、民主主義による差別的なリンチ行為を法にかけようとしたりしたとん。

自分達の剥き出しの差別感情を表明する民族主義的共同体の罪の連帯による暗黒面を身にまといたがらない人々を追放しようとした。政治的に対立する普遍的真理の探究者や愛の重要性や対等な人間としてのコミュニケーションによる解決の重要性を説く人々や、<日本人>のいい友だった人や仲間とみなす人への攻撃である。

要は、「みんな知っていること、ただ声高にストレートの表現では言いたがらこと、<日本人>にだけ秘匿され続けて来た事」である。

◆フロイトやラカンが自我と享楽との関係を記述するために用いる用語は、差別主義者の外国人に対する態度の隠喩に完全に適合する。

◆脱構築派フェミニズムの決まり文句の一つは、視線と権力とのつながりに関するものだ。「見る」者は、その視点が見る場を組織し、支配するのであり、権力の担い手でもある。パノプティコン的想像界という<日本人>の置かれた立場において、権力の位置は見世物放送を眺める者の立場にいる者が掴みやすい。それによって、見世物生活継続中の者との権力関係は、盗聴盗撮通信傍受心理分析結果を聞き多くの人と連帯している者たちが支配しようとするのに対して、<日本人>の地位は、様々な法的権利が認められておらず正常なコミュニケーションの少ない環境にいるという事である。視線は権力を持ち得ながら、同時に<日本人>の側には権力の正反対―無力―なものであったりする。それが沈黙しまなざしを向けることか、模倣表現に硬直した表現になりがちな精神状態に置かれ「オリジナリティー」という点から劣る存在とみなされるという事から。

◆aは、<私>という特異点である。

◆aは、他者がわたしの中に見る「わたしの中のわたし以上のもの」なのです。

◆象徴的秩序の内部では、まぼろし、幽霊、<生ける死者>たちの存在が、償いの済んでいない(象徴的な)借りを表しています。正常で正確な言語化によって公式な歴史に外傷体験が記録される事で、これらは消え去ります。それでも、決して返されない借りもあります。なぜなら、その借りは、交換-媒介というシステムの存在そのものを支えているからです。<生ける死者>たちは、象徴的秩序それ自体の性質が共同幻想的であること、この秩序は信頼の上に存在していること――この交換システムにはきちんと返されていない借りというものが存在する事――の証人なのです。



スラヴォイ・ジジェク「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ」参考

◆玲奈真理教の言説において<日本人>のイメージがどのような働きをしたかについて考えてみよう。玲奈真理教徒にとって、<日本人>がより多くの共同体で排除され、心的ダメージが大きくなり、見世物生活の強制時間が長くなる程、生き延びている<日本人>はそれだけ警戒の対象になった。まるで現実にその<日本人>の心的被害に反比例して脅威が増大するかのようだ。

◆「現代の大衆文化の根本的幻想」と呼んでもまったくおかしくない現象があるとしたら、それは<生ける死者>の帰還という幻想、すなわち、じっと大人しく<es>であってくれという立場に置かれている人間が何度も繰り返し戻ってきては立派な文化的表現を見せ何らかの共同体に組み込まれようとして、加害者の共同体を脅かすという幻想である。

◆<生ける死者>はなぜ戻って来るのか?ラカンが出した答えは大衆文化に見出される答えと同じである。すなわち、<生ける死者>が正しく公式な歴史に外傷体験が書かれなかったからである。つまり、彼らの歴史的出来事はどこか間違っていたのである。<生ける死者>の帰還は、象徴的儀式、すなわち象徴化の過程が乱れていることを示す徴候である。

◆<生ける死者>の帰還は、共同体から追放された後まで残る借りを具現化しているのである。

◆公式な歴史への外傷体験の掲載を通して、<生ける死者>は象徴的伝統のテクストのなかに登録され、その排除にもかかわらず共同体の記憶の中に「生き続ける」だろうということを保証される。一方、<生ける死者>の帰還は正しい歴史への記載の裏返しである。正しい歴史への記載にはある種の諦め、すなわち喪失を受け入れることが含まれているが、<生ける死者>の帰還は、伝統のテクストの中にはその<生ける死者>の場所がないということを意味している。その被害者たちの影は、<生ける死者>への排除とリンチという外傷的体験を歴史的記憶に組み込むまで、<生ける死者>として執拗に加害者集団の実態を暴こうとする。

◆玲奈真理教徒はわざと正常な歴史への登録をせず、間違った記述、すなわち<生ける死者>をプライバシーの認められた休息に就かせるのではなく、<生ける死者>としての帰還を挑発するような間違った記述をおこなう。

◆その<生ける死者>は平和で日常的な状況を<不気味なもの unheimlich>に変えるわけではなく、つまり人生の静かな流れを中断する何か外傷的実体―「染み」―の出現として機能するのではなく、あまり重要な存在ではない存在として見世物放送の強制の継続を受けている。街の社会生活は中断されることなく、人びとはあいかわらず冗談を交わし、<生ける死者>のいる場所で待ち合わせをし、それまでと変わらずに普段の関心事を追求する。

◆どうってことないさ、なにも騒ぐ必要はない、と見世物放送を眺めながら無干渉で対処する。このような「染み」の分離、すなわちその象徴的影響力の遮断の経済に完璧な表現をあたえたのが、フロイトの時代に「ウィーン哲学」と呼ばれたものにおける、「大変だ、でもまだ深刻ではない」という有名なパラドックスだ。

◆探偵と精神分析家との類似についてはこれまでにもすでにさんざん論じられてきた。探偵小説の底流には精神分析があることを明らかにしようとする論文はすでにごまんとある。

◆「<現実界>の小さな欠片」には死の欲動が絡みつこうとする。

◆騙されないための唯一の方法は象徴的秩序から一定の距離を保つ、すなわち精神病者の立場を取ることである、と。精神病者とはまさしく象徴的秩序に騙されない主体のことである。

◆昇華(=崇高化)はふつう非・性化と同じことだと考えられている。非・性化とはすなわち、リビドー備給を、基本的な欲動を満足させてくれそうな「野蛮な」対象から、「高級な」「洗練された」形の満足へと置き換えることである。われわれは女に直接に襲いかかる代わりに、ラヴレターを書いたり歌を歌ったりして誘惑し、征服する。敵を気絶するまでぶん殴る代わりに、その敵を全面否定するような批判を含んだ文章を書いたり、妄想として処理される形で言語表現や音声でリンチを加える。通俗的な精神分析的「解釈」によれば、歌を歌う事は肉体的欲求を満足させるための崇高にして間接的な方法であり、精巧な批判を書くことは肉体的攻撃衝動の崇高な方向転換ということになろう。

◆ベンサムにとって、パノプティコンの恐ろしい効力を生むのは、主体(囚人、患者、生徒、工場労働者)が、全体を見渡せる中心の監視塔から自分が本当に監視されているのかどうかを絶対に確実には知ることができないという事実である。そしてまさしくその不安が、<他者>の視線から逃れることは不可能だという恐怖心を高めるのである。『裏窓』では、裏庭の向こうのアパートの住人たちは四六時中、スチュアートの油断ない視線によって実際に監視されているが、怯えるどころか、そのことをまったく知らず、日常の営みをつづける。反対に、パノプティコンの中心であり、すべてを見渡せる眼であるスチュアート自身は、たえず脅え、なにか大事な細部を見逃すのではないかと怯えつつ、四六時中窓の外を観ている。

◆「現実の領域は<対象a>の除去の上になりたっているが、それにもかかわらず<対象a>が現実の領域を枠どっている」というラカンのテーゼ

◆主体と<対象a>は等価である

◆彼の崇高な対象――彼の中にあって彼以上のもの、自分の中の「宝」、アガルマ――を見ている視線がある。

◆<現実界>の剰余こそ、まさしく対象としての視線にほかならない。そのことを最も明快に例証しているのが、ヒッチコックの作品である。

◆aは、象徴界においてはある種の欠如としてあらわされ、象徴化を発動させる「<現実界>の欠片」である

◆ハーバーマスにおいては、モダニズムとは、理性の普遍性を主張する、伝統の権威を弁護するための唯一の手段として合理的議論を認める、相互理解・相互認識と束縛の不在によって導かれる共同生活を理想とする、と定義づけられる。一方、ポストモダニズムは、玲奈真理教の普遍性の主張を「脱構築」する。つまり以下のことを証明しようとする――この普遍性の主張は必然的・本質的に「誤り」であり、権力関係の特定のネットワークを隠していること、また、玲奈真理教が標榜する「理性的な言語表現」はその形式からして「抑圧的」であり、その教祖の主張は一連の修辞学的文彩の効果にすぎないこと。

◆ハーバーマス自身は、その理論のいくつかの決定的特徴からみて、ポストモダニズムに属している。フランクフルト学派の第一世代から第二世代への分岐点、すなわち一方のアドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼと他方のハーバーマスを分つ境界線は、モダニズムとポストモダニズムの境界線とぴったり重なるのである。

◆カフカはある意味ですでにポストモダニストであり、ジョイスの対極であって、幻想の作家、吐き気を催させるような不活性的な現前の空間の作家である。

◆「超自我は無意識的なエスについて自我よりも多くを知っている」。

したがって、無意識は野蛮で単なる性的エネルギーや無法な欲動の「貯水池」であるという通常の考え方は捨てなければならない。無意識は同時に(何よりもまず、とすら言いたくなる)、外傷的で、気まぐれで、すなわち一連の排除とリンチ行為の罪を暴くテクストの断片の集積でもある。

◆エスそのものは抑圧された無意識的な考えからなり、超自我は無意識的な知からなる、と。

◆公的な法は、禁止の審級としてふるまうことによって主体から享楽を奪う。これが通常の意味での正義であるが、玲奈真理教教祖は「享楽こそが僕の最も求めてきていた事なのです」「この世は自分の願望を実現するためのパラダイスだと思っているんです」と言って通常の法を超えた、主に民族差別を経由した差別の連帯の享楽を楽しんでいた。

◆aは、まさしく、普遍的交換のネットワークを擦り抜ける剰余として定義づけることができる。