正常に社会参加し忙しい自分を誇って、見世物生活中の知人を放置し差別の目でそれを眺めているあなたのような人の為に新しいテーマを作りました。
そういう人はどうして自分の公式メディアで反戦平和・生命尊重・コミュニケーションによる問題の解決の重要性を掲げないのだろうか?
→国家による暴力を肯定していて、被害者を正常なコミュニケーションによる救済の対象としようとしない加害者側に加担しているから
どうして国家による重大な権利侵害行為の下に置かれている私の置かれた状況の事実を伝えないのだろうか?
→差別していて仲間だとみなしていないから
反戦平和・生命尊重・コミュニケーションによる問題の解決の重要性を訴える事に参加せず、そうした事を公式に表明しない自分を「忙しく社会参加している」というのと、世間で評価される大学の卒業者であるというだけで、特別な存在であるかのように勘違いしているのだろうか。
「忙しい自分が嬉しい、好きって思えるようになれればさらに差別が楽しくなるかもしれないね。口では、私この頃ハードスケジュールなの~なんて言ってため息つくけど、実はそんな充実した日々を送っている自分にとても満足している。そういう自分に多くの国民が人格改造されるのが、整流器としての学校教育であり人生の正道を歩いている人達の社会人生活なのかもしれないね。そしてそこから外れている人への差別意識も根付いていく。そういう生き方を実践しているのが幸せだって思っている人が結構いるのは、そのハードスケジュールが自分の有能さと人気の証だって勘違いしてて、そこから外れた者の私生活を眺めて差別の連帯を築き性的慰安の対象とする事が、数少ない贅沢な娯楽の一つになっているからさ。会社に利用されているだけなのに、それに気づかないで粒々の仕事押し付けられて頑張って、それで世間の人が休みの日も働いている自分と、反戦平和・生命尊重の活動や被差別民と正常なコミュニケーションを公式メディアでしない自分を誇っている」
綿矢りさ「インストール」参考