白虎隊ゆかりの地 | 目からウロコの異文化交流

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―日本語教師のつれづれ日記―

綾瀬はるか主演のNHK大河ドラマ「八重の桜」で会津藩の「什の掟」を知りました。

 

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

三、虚言(うそ)を言ふことはなりませぬ

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

五、弱いものをいぢめてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で夫人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

 

一、六、七は、今の時代にはそぐわないと思いますけどねウインク

什の掟は會津藩校の日新館入学前の6歳から9歳までの子どもたちに、徹底的に教え込まれました。

 

その日進館は享和3年(1803年)に設立され、会津藩士の子弟が10歳から入学して学問や武道を学びました。

こちらの戟門(げきもん)では、戟という武器を持った兵士によって監視されていたそうです。

当時は太鼓を置いて、授業の時刻を知らせたとか。

 

東塾は西塾とともに初等教育が行われた素読所があります。

 

授業風景が人形で再現されています。

 

掃除の様子もね。

 

中国風の講堂は大成殿です。

日新館の教育は儒教の祖である孔子の教えを礎としているからだそう。

 

一番目立つ所に孔子像があります。

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日本初のプール、水練水馬池。

鎧兜をつけたまま泳ぐ練習もしていたとか。

 

資料館も充実していて見応えがありましたが、見学者が少ないのが意外でした。

残念ながら、武術場、弓道場、砲術場は使用中で見学できませんでした。

 

日進館を後にして白虎隊士自刃の地、飯盛山へ。

結構急な階段がありましたが、ご安心を。

 

250円で動く坂道に乗り+階段45段で広場に出ると、白虎隊十九士のお墓はすぐそこ。

広場から階段をちょっと下ると白虎隊自刃の地へ。

 

この石像が向いている方向には城下町が見えます。

 

今はこんな風景が広がっています。

 

白虎隊の少年たちは、鶴ヶ城周辺から火の手が上がっているのを見て落城したと思い、自刃したと伝えられています。

ただ一人蘇生した飯沼貞吉のおかげで、悲劇が後の世に伝わりました。

 

昭和3年(1928年)に白虎隊の精神に感銘を受けたローマ市より寄贈された碑。

碑文はイタリア語。

 

飯盛山中腹にある会津さざえ堂。

 

外観がさざえに似ています。

高さ16.5mで右回り螺旋状のスロープで登り、頂上の太鼓橋を越えると左回りスロープとなり、背面出口に出ます。

内部には西国札所の三十三観音像が祀られていますが、残念ながら時間がなくて入れませんでした。

 

戸ノ口堰洞穴は猪苗代湖から水を引くために掘られた揚水トンネル。

白虎隊士たちは敵の目から逃れるために使用したそうです。

 

飯盛山を後にして、鶴ヶ城は真ん前を車で通っただけ汗

 

お堀の前も通ってだけ汗

 

ひたすら白虎隊ゆかりの地をめぐる日でした。