【茶道】名茶碗『木守』と銘菓『木守』 | 日本文化って素晴らしい!~茶道・着付け教室in世田谷

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日本に生まれてヨカッタ!

実家の柿の木の、柿取りをしましたおねがい
お店に売られている柿と違い、完熟するまで枝に付いているので、甘くてオイシイですラブラブ



昔、砂糖が貴重品だった頃、柿や干し柿は貴重なあま~いお菓子でした。

千利休さんも、お茶会で主菓子に干し柿を使っています。


すっかり鳥さんに食べられてしまった柿達⬇
『木守り』達です。



昔からの風習として、柿は全部取らず、1つだけ残し、それを『木守り』と呼びました。
それは、 収穫に感謝して神様にお捧げするものであり、来年も沢山なりますように、とのおまじないでもあり、これから冬に向かい食料が少なくなる鳥さん達に対する心遣いだったり。。。
昔の日本人は、自分のことだけ考えていたのではなく、自然に対する感謝や心遣いを大切にしていたのですねキラキラ

今年の柿は、収穫前に鳥さん達に随分食べられてしまって、沢山『木守り』になってしまいました苦笑

木守りといえば、香川県高松市の「三友堂」さんの『木守』です⬇
(高松片原町西部商店街さんのHPより)



昔、利休さんが弟子たちを集め、楽長次郎に焼かせた楽茶碗を並べて、好きなものを持ち帰るがよいと言ったところ、赤楽茶碗が一つだけ残りました。
利休さんはこの茶碗に、柿の収穫時に木に一つだけ残される木守りの柿にたとえて、『木守』という銘を与えたとのこと。

その故事にちなみ、自家製柿ジャム入羊羹を麩焼き煎餅ではさみ、讃岐特産の和三盆糖を配したのが『木守』です。
美味しいですビックリマーク

その後、お茶碗の『木守』は、利休さんから少庵、宗旦そして武者小路千家 官休庵に伝わり、真伯宗守より高松の松平家に献上されました。
ところが、関東大震災の際、東京の松平邸で不幸にも割れてしまい、数片の欠けらのみとなってしまいました。
名茶碗を惜しみ、楽家(惺入)が木守の写しを手本に、欠けらを集め復元しました。
それが今日の「木守」の姿です⬇



後に補修した部分がほとんどですが、その中に一片の欠けら(前面の色の黒い部分)をはめ込み焼成した技には感心させられます。
一片だけはめ込まれた景色は『木守り 』の柿の姿を思わせます照れ

武者小路千家では家元襲名披露などの重要なお茶会には、松平家よりこの「木守」をお借りして茶会を催しますキラキラ

meisho