
では早速、昨日の続きを。。。
佃さんのお茶室研究会は、まず『月華殿』で集合して煎茶お点前を頂き、待春軒で三溪お気に入りの三溪そばの昼食、その後『蓮華院』で茶室研究会と薄茶のお点前、最後は再び『月華殿』で中国茶の先生から中国茶のお点前をいただくというデラックスな趣向でした。
実際、三溪さんがお茶会でお客様をお迎えする際も、まず『月華殿』でくつろいでもらった後で、 『蓮華院』でお茶をもてなす、といった流れだったとのこと。
今回はその流れにそって、三溪さんの趣向を味わうこととなります。
『月華殿』も『蓮華院』も普段は入れませんので、貴重な体験です。(借りることは出来ますので、ご覧になりたい方は是非。)
『月華殿』での煎茶点前の花⬇
茶道の花と随分異なります。
部屋の中に自然があるようです


『月華殿』は安土桃山時代の建物で、京都宇治にある三室戸寺(紫陽花が有名です)からの移築ですが、元々は徳川家康が京都 伏見城内に建てたものです。その当時は、従5位以上の位の方、いわゆる殿上人でないとこの建物には入れなかったとのこと。
現代人でヨカッタです

では、なぜ伏見城内にあった月華殿が三室戸寺にあったかというと、1620年の伏見城取り壊しの際に、宇治の茶師 上林家に与えられたそうです。本能寺の変で織田信長が亡くなった直後、堺にいた徳川家康は、僅か34名の家来と共に、命からがら領地の浜松に帰るのですが、途中宇治辺りを通る際に茶師上林家が手助けしたそうなのです。ちなみにその上林家の流れをくんでいるのが『綾鷹』をプロデュースした上林春松です。皆さんも一度は飲んだことがあるでしょ?

今度『綾鷹』を買ったら、ペットボトルをよく見てくださいね。
『上林春松(本店)』って書いてありますよ

その上林家が、同じく宇治にある三室戸寺に月華殿を寄進し、それが三溪の目にとまり、三溪園にやってきた、という訳です。
『綾鷹』➡上林家➡徳川家康 と考えると、私たちはどこかで家康と繋がって言えるし、
『綾鷹』➡上林家➡三室戸寺➡『三溪園 』と考えると、どこかで『三溪園』とも繋がっているとも言えます

『月華殿』の話ですっかり長くなってしまいました。
続きは明日のブログで。。。
また、明日も宜しくお願いします


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