昨日、山梨県まで
母方の親戚の叔父さんの、そのまたお父様の通夜に参列しに行って来ました。
私にとっては…
遠い遠い親戚にあたる訳だけれど…
血も、繋がっていなければ、会った事もないおじいさん。
実親に、一緒に行こうと言われたものの
はるばる山梨まで…
子供達を引き連れて…
行く必要があるのか…?
次の日は、長女も学校だし、
次女もまだ一歳で、大人しくしていられないし…
と、一人で悶々としていた。
おじいさんは、満90歳で、かなりのご高齢。
地位のあった立派な方で、最期は、自宅の布団の中で老衰で静かに亡くなられた。
十分、人生を全うされ、
思い残すことなんてないのではないか。
十分幸せな最期なのではないか…。
90歳まで長生き出来たなんて、大往生。
拍手で見送ってあげたい。
そう思っていた。
芽依が、亡くなってから
人の死に関する感覚が、薄情になってしまった自分もいる。
我が子の死という順序の逆の死を体験してしまって…
果たして、順番通りに来る祖母や祖父、両親の死って…
悲しいのかな?って。
だって、人はいつか必ず死ぬし、
それが順番通りに来るなんて、素晴らしい事!
若くして、無念の残る死や…
不慮の事故…
それ以外の寿命からくる高齢での病死だとしたら…
涙が出るかな?って。
そんな風に思ってしまっていた。
けれど、今回の通夜は、
芽依と同じ年に亡くなった方。
そして、喪主であるその叔父さんは、私の高校の先生でとてもお世話になった。
そして、私が結婚する時…結婚後…
今回の芽依の事でも心配をかけた、お世話になっている叔父さん…。
この恩を表そう。
そして、芽依の事をよろしくって伝えに行かなきゃ!
そう、気持ちを切り替えて通夜に向かった。
おじいさんは、とても立派なお寺の本堂で、とても安らかな顔をして、眠っていた。
私は、初めて対面したそのおじいさんに
「先に…芽依奈という赤ちゃんがそちらに行っています。
どうか、天国でよろしくお願いします。」
そう、伝えた。
叔父さんは、来てくれてありがとう!と言ってくれた。
そして…
自分の父親の死でガックリ肩を落として哀しむ…というよりは、
どこかスッキリとした顔をしていた。
高齢の親を亡くすというのは
どういった心境なのかな…?
介護などから、解放されて、どこかホッとする一方で…
やはり長くいた分、寂しいのかな?
そんな風に考えながら帰ってきた。
でも少し、悲しかった事がある…
おじいさんの長年連れ添ったおばあさんは、
数年前から、認知症で、施設に入っているそうで…。
そのおばあちゃんが、おじいちゃんの最期を知らないこと…。
通夜には、来ていなかった。
連れて来ても分からないから…って。
それが、寂しい…
認知症…どうにもならないけど…
それが哀しい。
十分長く生きたからって…
それが幸せとは限らない。
幸せな最期を迎えるとは限らない。
誰にも看取られずに…
亡くなったおじいちゃん。
おじいちゃんは、自分がおばあちゃんを看取りたかったのではないのだろうか…。
安心出来ぬまま…
思い残す事だらけのままだったんじゃないのかな…。
自分が死ぬ時
大切な家族に看取られて最期を迎えられたらいい…
そう思うけど…
そう願うけど…
そうなるとは限らない。
どんな死を迎えても、残る悔いが一つでも少なくて済むように…
そんな、生き方が出来るように…
自分を大切に…
家族を大切に…
一日一日を大切に生きたい。
(それが、難しいんだけど…)
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