哲学カフェ「もやもや」 | 乱読家ぽちんの独り言

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「”もやもや”はポジティブかネガティブか?」をテーマにした、哲学カフェ(哲学対話)に参加しました。
参加された方の発言内容はお書きできないので、僕が考えたこと発言したことを書きます。(他の方の発言であっても、僕がそれに影響された部分、また自分の考えとして取り入れた部分もあります)


●僕にとっての「もやもや」の定義は、身体で感じられるもので、まだ言葉にならないもの。なんからの状況(現実)から発生していると推定できるものであり、複数の感情が内外するもの。よって、「もやもや」自体がポジティブがネガティブかは、「もやもや」の状態ではわからないもの。

●その「もやもや」と向きあうことで、ポジティブに変化することも、ネガティブに変化することもある。しかし、変化した時点で「もやもや」は、次の「何か」に変わっているので、すでに「もやもや」ではない。

●しかし、「もやもや」には耐えられないものもあり、その「耐えられなさ」と一緒にいることの辛さから、ネガティブと感じてしまうこともある。しかしそれは、「もやもや」自体のネガティブさではなく、「もやもや」に対して自分自身が感じていることである。

●「もやもや」と向き合うことで、その状況が見えてくる。その状況に対して自分はどう思っているのか、自分の生き方や感じ方が見えてくる。「もやもや」は自分に問いかけてくるものであり、自分の生き方を再発見するものでもある。そういう意味では、変化のプロセスとしてはポジティブに受け取ってもいいように思える。

●しかし、「もやもや」という言葉の定義は、人によって異なる。最初からネガティブな意味を含んでいる人もいれば、ポジティブな意味を含んでいる人もいる。「もやもや」の定義が人によって異なる以上、本テーマでの哲学対話は難しいのでは。



などなど、、、

今日もあれこれと考えました。考えるのは楽しい!!




哲学カフェってなに? と思われた方はぜひこの本をお読みください。


哲学カフェのつくりかた (シリーズ臨床哲学2)


哲学カフェ! 17のテーマで人間と社会を考える (祥伝社黄金文庫)