4月は三度関東へ | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 修士課程が終わったので、その対象としていたフィールドではないところへの修学旅行ができるようになりました。

 4月は10年ほど抜けていた関東へと越山を繰り返しました。

 伊藤拓也さんの論文を手に上野、武蔵の城を踏み歩いてたのも10年前です。逸る気持ちをリカバリー期間であることを自身に言い聞かせ、楽しみながら見聞を広めることをコンセプトに城は1日3城までと上限を定めて馬を出しました。

 

 上旬

 上野小川城、白井城。

 小川可遊斎の出自について、栗原修『戦国期上杉・武田氏の上野支配』p.258(岩田書院、2010年)に「謙信が岩鶴丸(河田長親)を見出して家中に取り立てった際に、一人の僧侶が還俗して岩鶴丸に付き従って来越したとあり、これが可遊斎であるという」と記されていて興奮していたが、その心理での訪問は長くかなわなかった。その心理で再訪。近くの建明寺(えいきの修学旅行の発端となった)も14年ぶりに立ち寄ってみた。あの日、方丈様のご厚意で憲政公の守り本尊を拝観させていただいた。関東管領の府 平井城を訪ねて その3 | えいきの修学旅行(令和編) (ameblo.jp)

 

 中旬

 馬念さん、ノラさんを誘って八王子の浄福寺城へ。とちゅう箕輪城を引っ掛ける。丸戸張、驚きの収穫。浄福寺城は、中井均・齋藤慎一『歴史家の城歩き』pp.42-71(高士書院、2016年)で、両先生が現地で踏査しつつ意見交換しており、両先生があえてこの城を扱った意義を体感しようと思って。

 

 下旬

 27日板橋のグリーンカレッジホールで日本城郭史学会の大会に参加。

 28日には常陸の国小幡城、額田城を攻略しつつ、常陸太田市郷土資料館で開催されている企画展「まだまだあった!常陸太田の城館跡」を拝観し、かのあおれんじゃあ様を表敬、初佐竹。展示の説明と常陸太田城を案内いただき、佐竹寺、そして超過となる馬坂城。29日は久米城、山入城、利員城、超過となる田渡城を案内いただき、15時過ぎ名残惜しくも常陸太田を発ち2030春日山へ帰還。

 

 帰ってきてから常陸太田ロス…。

 それを埋める衝動でブログ書きました。

 ラストの田渡城は、えいきらしく写真掲載します。

 

小川城

 

白井城

主郭出入口

 

 

ニ―三郭間の堀

 

 

箕輪城丸戸張

 

 

 浄福寺城

馬念さん、ノラさんとルートを堪能

 

 

小幡城

その工事量に驚き

 

 

額田城の堀

ここも堀工事量が大きい

 

屈曲を満喫

 

 

ここから常陸太田

 

常陸太田市郷土資料館

城はいつでもいいんだろうが、展示は今しかない

 

「行っちゃいますか」って歴戦の囁きに馬坂城

一日量超過。

横堀がある

 

久米城

東の城

 

南の出城の横堀

 

山入城

 

利員城

築城者の罠にはまったポイント

 

 

田渡城

あれぞ歴戦のあおれんじゃあ。

 

馬出から主郭への入り

 

郭内から馬出への出

 

主郭内

塁線際の土取りの様相は改修痕か。

 

塁線下に横堀

 

張出を造作する折れ

 

張出から横堀線

 

 

横堀線の区切りから竪堀(通路)

 

そこへの出入口とみた 

少し降りて架橋と推定。

 

竪堀通路

下方で外の横堀線へと変容する。

 

外の横堀線

あおさんもおっしゃていたが、射撃陣地となるエリアがある。

 

途中、別の竪堀降下接続がある

接続付近はS状導線工夫あり。

 

降下竪堀

 

S状接続

 

馬念さん、ノラさん、あおさん、ありがとうございました。