修論、能登を書いているのですが、北信濃に憩います。
矢筒城の出入口構造
矢筒城は2011年に歩いていて、その時の私には城郭遺構がよくわからなかった。
11年も前かぁ。
で、11年の時を経て、出入口構造(下図赤囲い部)を確認しに、再チャレンジ
遠藤先生の(2004)「戦国期越後上杉氏の城館と権力」における評価
この虎口は、形態は直方体形虎口で、入り口には段状構造が設けられ、形の面からは上杉氏領 域の天正期の形式である。ただし、虎口部を形成する土塁に石材が使用されており、ここに越後には見られない特色がある。竪堀c(この下方の箱堀形式の竪堀)を登って右折後、郭Rに入って東進し、土塁に突き当たって左折すると虎口d(この虎口)であり、ここから郭Pに導く構造であろう(遠藤2004,pp.96-7 括弧内引用者)
(私の撮影写真と遠藤先生の記述が合致しているかはわかりません)
右(東)に土塁が延びていて、上方へ誘導
そこに虎口。
左(西)の土塁は短い。上方で左に折れ、城内への誘導となる。
土塁の間に二段の段差が造作されている。
下段段差
測った
下幅450㎝、上幅420㎝、斜度約40度、斜面長130㎝。
土塁の高さは通路から1m程度。
左(西)側土塁
土塁は石材を使用。
草を掴んで
上下段差の間
下の段差から斜度約20度、斜面長約3mで上の段差。
上の段差
下幅280㎝、上幅(下写真のポール位置)260㎝、斜度約30度、斜面長220㎝
段差上・虎口内から
ここが城門か。
東土塁上から上段段差
西土塁が西に折れて、城内へ誘導
下方
右(西)に折れて、竪堀へ
竪堀との導線?
こっち?(上端から右)
竪堀
箱掘り形式の
ここ登ってくるの?
遊歩道の登り口
飯綱病院脇
働かせてもらおうか(淡い願望)…。
標注が、ほぼ堀のライン
左側の病院裏は、誤解される恐れもあり、うろつかず。
右(東)の堀
(私は上から降ってきた…)
山を囲う堀って、卒論で古宮城書いてた時は気づかなかった…
天正10年以降の上杉普請だろう
箱掘
参考文献
遠藤公洋(2004)「戦国期越後上杉氏の城館と権力」、pp.96-7