越中松倉城の横堀 | えいきの修学旅行(令和編)

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えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 修士課程卒業に必要な科目履修が、あと2科目となり、そのうち1科目のレポートを作成中。

 毎月7日か提出期限で、追い込めば5月7日に間に合いそうな状況なのだが、逃避する。

 

 逃避して、越中松倉城の横堀を投稿。

 

 松倉城の横堀は、佐伯哲也(2012)『越中中世城郭図面集Ⅱ』、桂書房の25ページに、松倉城唯一の横堀と記されている。

 松倉城は、私も執拗なほど繰り返し踏み歩いているが、この横堀が確認できていなかった。

 そこだけに狙いを定めて襲撃、遭遇に成功した(しつこい)。

 現地設置説明板を切り取り、オレンジで囲った。

凡そ(※)、その囲ったあたりに在る。

※二の曲輪と三の郭間の北下、林道の下方が横堀南東端で、図の囲い下方の段とは位置が合わない。

 

直上から

せっかく遭遇できたのだが、一眼カメラの調子が悪く、スマホでの撮影となった。

 

斜から

スマホも調子が悪い。酔いそう…

 

もう妄想の世界

 緩でもないが登坂不可ほどでもない斜面に、深さ70㎝、上幅(前面土塁水平面)180㎝、長さ約60m(なかほど盛途絶あり)にわたって巡らされている。腰に満たない深さから、塹壕状射撃陣地かと思ったが、前面斜面は見通しが効かず、射撃陣地とはなり得ない。

 

なんでこういう写りかたなの?

 

中ほど、いったん盛があり途絶

畝でいいのかな。

その後背壁上には竪堀状の掘り込みがあり、連動した構造のようだ。

 

横堀後背壁

上平坦面は林道造成面。

 

後背壁上の竪堀状の堀込

ここは林道面。

 

畝の西

 

横堀西端

この先はトラバースも登坂も不可な急斜面のため、敷設不要。

 

畝の南東

 

まともな写真

松倉城横堀南東部を南東から。

松倉城に横堀は在った。

 

 

 越中と能登の城は、昨年来、再訪しつつ構造を再度考察している。

 大道城や樫ノ木城などのそれら越中の城の記事は、7~9年も前の記事なので書き直したいが、その時間がない…。 

 科目履修が済んだら(あと二科目・うち1科目はほぼ済)、自分の考えを整える意味で書いてみようか。