年末のご挨拶 | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 たいへんな一年が終わろうとしています。

 年頭に思い描いていた経過とは異なりますが、それでも一年が過ぎました。大学構内には一度も立ち入れていませんが、オンラインでのスクーリングやテキスト履修で修士課程9科目、他に学部の地理考古学コース4科目を習得でき、修士過程はあとテキスト3、スクーリング2、地理考古学は2科目なので、まあよくできたと思います。

 来春以降は修論に取り組みますが、どうもそのためのフィールドワークのタイミングが合わず、苦しむことにならないか不安です。越中、能登をフィールドとしているのですが、すでに何度も歩いた城でも、実際に論文化していく過程で、遺構を確かめたり、測量したりといったことが必要になると思います。そうなった時に、越中、能登の城は、藪と雪のため、踏み込める時期が11-12、3~4月と限られており、執筆しつつ必要な調査を行えない可能性があるからです。いや、そうなるだろう…。

 そうなると、もう一年必要になるわけで、それならガツガツ履修しなくても良かったことになる。そうなれば、仏教学部の科目履修もさせてもらうか。

  

 今年は、京都も作手も一度も行けていない。信濃は麻績と妻籠と屋代だけ。越中能登はフィールドなので人と会わないようにしながら10回程。9、11月のCOVID-19低調なときに飛騨で行われた中井先生と仁木先生の講演は、月芳さんと一緒に拝聴できた。

  10月、直江津―小木航路の高速カーフェリーあかねの最終日(来春以降はカーフェーリーが無くなりジェットフォイルになるらしい)に佐渡へお馬さん積んで渡航。定納員数目録上杉番城の小木、羽茂、沢根の実見。確認できたらいいな程度の心づもりの小木が、羽茂、沢根よりもヒットで、驚きの成果があった。地権者の方がえらい親切にして下さって、あの日あの時あの場所であの方にお会いしなかったら、こういう展開にはならなかったという運命の出会いってある。小木はそんな予感。作手の原田先生もあの日あの時お互いに文殊山にいなかったら、こう(歴史学部の卒論を戦国期奥平圏の城郭構造とした)はなっていない。

 帰り、両津から新潟に常盤丸というカーフェーリーで渡航し、高速で帰ってきた。たった一泊の修学旅行だったが、今年の格別光った修学旅行となった。そういえば小学校6年の修学旅行、同じコースだった。あれから38年か。

 

 えいきの修学旅行のきっかけは、じつは上杉憲政が発端だった。

 かねてより上杉関連の論文を発表されている(読ませていただいる)大学院の先輩の知遇を得て、にわかに上杉憲政関連の調査を再開している。これも運命かと、ご縁を有難くいただいている。

 

  COVID-19に翻弄された一年ではあったが、×だけの一年ではなかった。その中でも健気に生きて咲くことも可能だろう。

 面会できなくともネットで繋がっている先生、先輩、お仲間(同病者)の皆さん、ありがとうございました。

 迎える新しい1年が、皆様にとって明るい年となりますよう、お祈り申し上げます。

 よいお年をお迎えください。

 

                                                         永野栄樹