光寿庵砦(岐阜県高山市国府町上広瀬) | えいきの修学旅行(令和編)

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光寿庵砦

ここもネット初出だと思います。

 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』。(記事中の郭・堀名は同書に準拠)によると、史料・伝承なく、城跡の様子から三木氏討伐の時の金森勢の陣城と推定している。

矢印のように取り付く

ここ

ゲートを開け、林道進入

 昨年、納車間もないバイクで一人で来て、どこから取りつこうか思案してたら転倒、クラッチレバーが折れて、心も折れた。あれから一年半、月芳さんを誘い、再挑戦(しつこい)。

 林道から直登は厳しい

 

やや下方の尾根に取付く

 

ピンクリボンがあるが、城とは関係ないようだ

 

この日4城目の月芳さん

お疲れのところすみません。

 

10分ほどで主郭1に至る

 

1後背を遮断する堀ウ

到達に胸躍る。

 

主郭となる郭1

削平は不十分。到達当初、私は城外と思った。

 

後背の堀ウ縁に土塁を盛る

 

後背を遮断する堀ウ

 

堀底

 

ウの東には畝状に竪堀が複数沿う

 

城外山側から堀ウ越に光寿庵砦

土塁により城内遮蔽が効く。

防御施設である堀切、竪堀、切岸は、まず優先して普請されるようだ。

 

あらためまして主郭1内

削平は甘い(されてない)が、土を削り取る造作は成されている。

 

枡形様の削りとり

 

削りとり普請も削平より優先されて成されたようだ

 

尾根筋下方も枡形様の削り込みあり

 

どのような用途か

 

 

下方に郭3

 

堀イ先に腰曲輪が巻く郭2

イは北東(写真左)に塁線を伴う。

 

イ東部

 

塁線

先進的な普請は、金森陣城の様相か。

 

堀イ側2切岸も削り立て造作は成っている

ただ、主郭1方向に対する削り立てに疑問を覚えた。

 

郭2

腰曲輪が巻き、西下方には帯郭一段(通路か)、傾斜の緩い東には二段の帯郭が備わる。

 

東 二段の帯郭

 

西 一段の帯郭

防御施設というより通路か。

 

尾根先

堀アで縊った土橋先は物見か。

 

ア東から土橋の削り

これは新しい?

 

 一度はあきらめた砦に立つことができ、感無量でした。

 月芳さんと、普請途中の様相についてあれこれ議論しましたが、城を構築する際の工事順序というか優先されるパーツの順を推し量る機会となり、有益な山歩きとなりました。

 

 参考文献

 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p.241

 

  同行 月芳さん