金山谷城(富山県魚津市) | えいきの修学旅行(令和編)

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 この城もネット初出でしょう。

 この城は地元頸城村の友達を松倉城に案内した帰りに寄ったのですが、私はとりつきで心が折れていたのを、高校の同級生Oが「ここから行こうぜ」って突入して、ならばと引きずられるように掻き分け攀じ登り、到達した城です。友達二人は主郭までで歩みを止めて、私だけ二度は来ないだろうと思い二条の連続竪堀イウを見てきました。駆け足撮影でボケ写真が多く、掲載できる写真が少ないのですが、その連続竪堀を披露するため、簡略にブログ記事にします。

  この城は、高岡徹(2012)『魚津戦国紀行』によると、北山城の北端と主郭から東南に続く尾根が尾根道によって繋がり、西方や北方への備えが主であることから、北山城の西の出城として築かれたとしています。

矢印が踏み込み取り付き経路

 

高所が主郭1(北から撮影)

尾根が三方から集まる。

 

郭1

 

 

南西尾根

 

この尾根筋には郭2、堀ア、畝状竪堀イウ、郭3,4が普請され、城の主軸となる

しかし、友達は進まなかった…。

二度は来ない気がしたので、一人突入(単独行動)すまん。そのかわり写真公開。

 

郭2

 

切岸下に堀ア、北斜面(右)に畝状竪堀イウ

 

畝状竪堀イウ

 

少し上がって郭3

 

3

特別な造作は無い。

 

この先に郭4

 

 

東尾根

ここから東南に尾根伝いに北山城に至る

 

 

北西尾根

頸城村の友達O。

この方面から私たちは来た(もう一人頸城村の友達Sさんも同行)。

 

堀エ(郭5側から)

 

郭5

長大な平坦を確保。

 

5北西端

ここから西に二筋の尾根が派生する。

その北の尾根から私たちは取り付いた。

 

西に派生する尾根の南の尾根

辺縁下の白囲い部に大石あり。

 

登り口

ここから突入。踏み込みと尾根取り付きは困難。

概念図矢印経路で郭5北端まで8分程度。

 

参考文献

高岡徹(2012)『魚津戦国紀行』、魚津市教育委員会、pp.57-63