米倉城(新潟県新発田市米倉) | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

米倉城

米倉城は、新発田重家本拠浦城に近接し、会津方面からの街道(近世米倉宿)を眼下に監視する。

 新発田重家が上杉景勝に反抗、割拠した際には、浦城防備のための重要な役割を担ったことであろう。遺構は、その緊迫感を伝え、堅固な普請が残る。

 

米倉城実測図

 尾根先端209.2mを中核の指揮所(主郭・居住スペースとはし難い)とし、後背南東尾根に6本の堀切を入れ警戒している。3,4本目(北尾根堀切を一本目とカウント・水澤さんは東からカウントし記述しているもよう)は二重構造で、大規模である。

 北東下方には通路となる竪堀と横堀を巡らせている。その竪堀と横堀接続部は出入口関門となり、西への道が出る。道は北の堀切(一本目)に至る。北の堀切上方には4条の畝状空竪堀が敷設され、北尾根からの登坂を警戒している。横堀東端先に、沢を眼下、後背三方を城郭に囲われた空間を有する。足弱の収容場所か。

 鋭い沢が、要害度を強固にしている。

 

尾根先端高所

標高209.2mの戦闘指揮所、監視所。

数段の腰曲輪が付随する。

頂部を腰曲輪が取り巻く形態は、揚北では多く見る。頸城では見ない。

 

腰曲輪

 

北尾根下方に畝状竪堀群と堀切

私はここを登ってきた。藪、傾斜共にきつかった。

 

畝状竪堀群(4条)

 

下方に北尾根堀切(後掲もします)

 

 

眺望

会津へと至る街道を眼下に監視。

 

浦城方向

 

北東下方

腰曲輪を段々と連ねる。

段々を囲うように通路ともなる竪堀から変化する横堀が巡る(後掲)。

 

 

後背南東尾根

 

腰曲輪を経て降る

 

二本目堀切前(一本目は北尾根)には二段の平場があり、その上段平場

低い土塁を備え、下方下段平場への監視、防御点となる。

 

下方下段平場を監視

 

下段平場先、二本面堀切

 

北東は掘り下げていない

下方に空間あり。

 

南西掘り下げ

 

二本目堀切先(南東)

 

三本目堀切内には土塁を備える

次いで三、四本目と、大型二重堀切を構成する。

 

次いで三、四本目堀切

これが圧巻。

 

葉が邪魔

斜から

 

南西掘下げ

 

北東掘下げ

 

二重を仕切る畝

畝の南西

 

四本目堀切

 

斜から

水澤さんは幅12mを計り、両脇の形状から箱掘りの可能性を指摘している。

 

南西

箱掘りである故に段差を見せる。

 

北東も

 

南東から

 

 

その先(南東)

郭、段等の造作はない。

 

緩く五、六本目の堀切

南西への片堀切で、水澤さんは未完の感想を述べている。

 

五本目堀切

 

六本目

 

 

北東下方

 

北東に通路となる竪堀が降り、下方で右に折れる横堀を巡らせている。

その竪堀と横堀接続部は出入口関門となり、西への通路が出る。

通路は北の堀切(一本目)に至る。

横堀東端先に、沢を眼下、後背三方を城郭に囲われた空間を有する。

段々

左側に竪堀。

 

竪堀

わかりにくい。

下方からだとわかりやすい

 

下方で折れて横堀となる

変化地点に道に接続する関門が設けられている。

関門

この城で、この関門が最重要地点ではないか。

上方からの監視も効く

関門前は、北尾根に至る道がある

道から関門へ入る箇所は、当てていない。

 

横堀

前面天端幅があり、堀内から前面下方に見通しは効かなかった。

射撃陣地運用よりも、伏兵通路、警戒線、上方からの迎撃を受くスポットではないか。

 

上方から

 

横堀東端先は、沢を眼下、後背三方を城郭に囲われた空間に至る

 

空間

足弱の収容場所か。

 

後背は城郭に守られている

 

前面は沢

 沢筋に降りる山道があり、ここから帰れるかも、という想いが沸いたが、「沢筋に降りてはいけない」と、らんまるさんの声が聞こえたので止めた。

 先ほどの関門から接続する素敵な山道を選んだ。

 

さきの関門から素敵な山道へ

山道から関門へ入る箇所は、当てていない。

 

素敵な山道

北尾根堀切に至る。

 

北の堀切(先掲)

右が北西尾根下方、左が北尾根で上方に畝状竪堀群。

北西尾根下方から私はこの城に至った。

薮がきついが、傾斜は登り可能。

帰り、尾根筋の藪を避け、トラバースを試みたが、危険な沢が二本あり、命の危機に二度直面した。

 

鋭く危険。

沢が、この城の守りをより強固なものにしている。

 

もう一本、沢

北東空間前の沢は道があったので、もしかしたら通行可能なのかもしれないが、私は確認していない。

私が遭遇した沢二本は、極めて危険で、避けるべきである。

 

 

登り方

 

私が通った北西ー北尾根伝いは、藪が酷く、お勧めはしない。

もっと安全で易いルートがあるかもしれないが、私が通ったコースを掲載する。

 

ここから左に攀じ登ると山道がある

ここhttps://yahoo.jp/Md7QLd

 

山道

一つ目の沢を越えて、北西尾根伝いに登った

 

繰り返し書くが、私が通った北西ー北尾根伝いは藪がきつい

北尾根堀切まで18分。

帰りの北西尾根迂回は、二本の危険な沢に遭遇するので、×。

 

 参考文献 

 水澤幸一(2009)「越後加地荘の城館(下)」、『新潟考古』、第20号、pp151-3