五斗蒔城(新潟県新発田市) | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

五斗蒔城

標高300.8m(鉄塔右後方)を最高所に、谷を挟んだコの字状の尾根上に築かれている。

 

五斗蒔城実測図

後背(東)は急壁だが、北東尾根伝いに大南俣城へと至る。

北の尾根には尾根下方西側に向かって横堀が敷設され、関門を設けている。

北、南の尾根とも、外周を帯郭が囲う。

鉄塔から横堀まで、横堀から頂部までは、深い藪に覆われ、到達は至難な城である。

 

横堀部から小谷を挟んで南の尾根を見る

舳先から奥側を帯郭が周回する。

 

南の尾根上方へ

 

南の尾根の最高所(標高300.8m)

倒木の窪が、南尾根帯郭の起点で、出入口のようにも見える。

 

最高所

後背は急壁

 

周回する帯郭起点

堀込の出入口のようにも見えたが、最高所が、それほど重要なものにも見えなかった。

 

帯郭、スタート

 

帯郭は南辺から舳先まで囲う

 

南の尾根

一面の削平ではなく、幅5m未満程度の小段が連なるといった造作。

 

舳先近くカーブの始まりあたり

 

南の尾根の先端近く

 

舳先へと囲う帯郭

 

おりた

 

 

舳先を囲い、北の終点

 

谷に落ち込み

 

谷の対岸、北の尾根

横堀線(後掲メインデッシュ)を視認、呼応できる。

 

 

上へ戻ります

 

南の尾根上部から北の尾根へのコの字部

 

高所

南から北への接続部

 

尾根間の小谷

 

北部のピーク

後背、北東に尾根が続く。

 

北部のピークを周回する帯郭

 

北の尾根上部は調査不可能

 

北東尾根

大南俣城へ至る。

この山上で、尾根続きに連絡していることに驚く。戦乱に際し、山上に拠る、ということを彷彿する。

後方からの補給、あるいはより山奥への脱出が可能である。

 

壁下付け根に堀切

しかし、緩い

 

尾根上は後方へ接続する極上の道

約40m先に堀切もう一本。

 

もう一本の堀切

遮断意図は弱く、緩い。

 

 

北の尾根

ピークから下降は薮で不可能

 

南の尾根から小谷を挟んでみた北の尾根(↓再掲)

 

 

北の尾根の横堀

 

関門構造

横堀線を張り、土橋から駆け上がり、壁に当てる構造である。

 

土橋から駆け上がり

 

関門先、切岸壁に当たる

正面頭上、迎撃を受ける。

 

うぃ

右折れか。

 

当たり、右、帯郭切岸

 

しかし、これほどのを構築しているのに、城内導線ははっきりいしない。

 

横堀(土橋北)

 

横堀(土橋南)

 

横堀南端

小谷に落ち込む

 

谷対岸は南の尾根舳先を視認、呼応

 

 

横堀の北端は竪堀が制限しているので確認に行く

 

北端の竪堀

横移動を阻止。

オレ、何してるん…。

 

 

行き方

 

林道ゲート前で、下馬、左の林道に徒歩で入る

このあたりhttps://yahoo.jp/P-ejGA

 

左の林道

すぐ目の前の尾根にとりつき、鉄塔作業路を伝い、鉄塔を目指す

 

鉄塔作業路

 

鉄塔

ここまでは易い。

ゲートから7分。

 

鉄塔背後から尾根を登るのだが、猛藪のため、至難の行程。

 

行くか、止めるか1分おきに思案が変わる

 

段造作を随所に確認できる

 

堀切に遭遇

鉄塔から9分。

行くに確定

 

登るだけなので、迷いはしないというのがせめてもの救い

 

帯郭の下段ラインに遭遇

鉄塔から16分。

 

炭焼き釜が一か所あり、段造作がひしめく

ここから横堀までも藪は緩まず、至難である。

ここから横堀まで、まだ16分ほど(鉄塔から横堀まで32分)藪を突破しなければならない。

 

 

参考文献 

 水澤幸一(2006)「越後国加地荘の城館(中)」、『新潟考古』、第17号、pp.183-5

 

 訪問に際し、古城址狂が行くhttp://kojyosikyo.main.jp/Sibata-C/Gotomaki-Jo/Gotomaki-Jo.htm

(2020.3月閲覧)に助けていただいた。