木和田城ヶ根城(愛知県新城市作手木和田字前山) | えいきの修学旅行(令和編)

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 三連続で奥三河の小城郭
 
 木和田城ヶ根城
 
  標高680m、上木和田集落とは283mの比高がある。10月に一度トライしたが、傾斜・藪とも嶮しく、時間も足りなかったため断念した。
 
 11月、南西から迫れば、傾斜と高度が緩く、道は無くとも到達できるのではないかと執念深く作戦を立てる。到達できる確証が無かったため、独行で企てていたが、遠征前日、原田先生から「木和田城ヶ根行くときは連絡ください。ご一緒します。楽しみにしています。」とメール到来。虫が知らせたのか、運命か。お言葉に甘え、明日行きますと、連絡、同行いただくことになった。
   
縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河地区』より引用) 
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 この城が陥落したことが、貞奥平氏(貞能・信昌父子)の作手撤収に繋がったという説もある(1)。主郭は10×15mの小さな砦だが、北に土塁で挟んだ武者隠し区画(2)を設け、その下方に出入口を造作している。出入口は、帯郭からの導線を西側竪堀で狭めつつ前面土塁で曲げ、東側竪堀との間を折れて通るという工夫が見られる。
 この一連の造作を確認したい一念が、この城への私の執念の根源であった。
  尾根続きにもB、Cの堀切が設けられている。 
 
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登り口 
舗装林道で、駐車スペースもある。
 林業作業の踏み跡あり、石が目印になる。 
 谷の奥まで行って右側の尾根にあがってもよさそうだが、私達は直ぐに右の尾根にのり、北東に登り詰めた。
 
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舗装林道わき、作業踏込み口に石 

 

 
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ピンクリボンの上が城域で、南から接近することになる
 登り口から30分。
 
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撮影地が南の前段付近にあたるであろうか
 

 
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主郭に到達
 
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主郭東部
緑の奥が櫓台状高所。
 
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櫓台状高所
 
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北東眺望
 
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主郭から南の前段
 
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主郭西下 帯郭
 
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主郭から北
武者隠し、導線の造作がある。
 

 
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土塁と土塁の間に設けられた区画が石川の指摘する武者隠しか
 

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その下方

竪堀と土塁で帯郭からの導線を折れ曲げている。
土塁内側には横矢が掛かる。
佐分清親は、室町期の城を戦国期に改修したと推定している(3)。
 
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その導線を帯郭から
 
 

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城外から

 
 

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書き込み無し

 
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東竪堀
 
 

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西竪堀

城内側に竪土塁状が沿う。
 

 
 
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堀B
 
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堀C
 

 
引用資料 愛知県教育員会(1997)『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河地区』
 
註(1) 定本(1990)定本東三河の城、郷土出版社、p.203
  (2)愛知県教育員会(1997)『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河地区』、p.116
  (3)佐分清親(1990)「三河の城私考「作手村」」、『古城』第33号、静岡古城研究会、p.8