笠井島城(愛知県設楽町大字豊邦字山口) | えいきの修学旅行(令和編)

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  もういっちょ、奥三河の小城郭 笠井島城
 
 笠井島城縄張図)『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河地区』より引用)
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  当貝津川の湾曲部、舌状高地に築かれている。川の対岸は鳳来寺道で、このあたりが作手奥平圏の北限になろうか               
                   笠井島城の位置https://yahoo.jp/9FMAdV
 
 縄張図には出入口造作と、その外に三日月型馬出形状のような段が描かれている。私はこれを確認しに行ったのだ。
 
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南西から迫り、城域となる段差
小田城に次いで、作手山城路案内人原田先生に同行願った。
地元の山城案内人すら未踏の城に、新潟の私が連れ込んだわけである。
 
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段差は一応は堀の形態か
 
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主郭方向
前段壁下に土塁で堀を造作している。
 
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書き込みなし
 

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土塁前

 

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土塁の無い部分の堀

さほど掘ってない。土塁が主構築であろう。
 

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段あがって、堀、土塁を見下ろす

 

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北に竪堀

 

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前段あがって主郭壁

導線は右(南)回りであろう。
 

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右回り

 

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入って主郭南西部

 

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南回り導線の主郭入り

格別な造作は見られない。
 

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主郭南西辺縁から、辿ってきた南西前段、土塁・堀切

 

 

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主郭北東部

 縄張図では、出入口造作と、その外に三日月型馬出形状のような段が描かれていて、この構造を確認したくて、やって来た。原田先生、こんな私にお付き合いくださり、ありがとうございます。
 

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岩の間が縄張図で出入口造作に見えたところで、原田先生がお立ちの所が三日月型馬出形状に見えた段。

 

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構築された出入口?

幅約80cm。
 

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三日月型馬出形状の段を側面から

 

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三日月段下方より

これは計画的に設計された城郭構造では無いと捉えた。
 

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その北東下方

当貝津川に至る。
 

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舌先端下当貝津川

川からの物資引き上げはどうか。
道路は国道420号線・鳳来寺道。
 

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国道420号線より笠井島城

 
 行き方
 
 笠井島城の当貝津川対岸、国道420号湾曲部から南100m程で、当貝津川を渡る橋があり、川の城側に数軒の民家がある。橋を渡ってすぐ正面上の民家の脇から北東方向に登り込む。
 このコースは困難で、お勧めはしない。
 城地周辺は林業作業がされており、当貝津川上流方向からの接近が可能かもしれない。
 
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登り口から国道420号線と当貝津川に架かる橋
 

引用資料 愛知県教育員会(1997)『愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河地区』
同行者 作手山城路案内人 原田純一先生