猪狩山城(岐阜県恵那市笠置町姫栗) | えいきの修学旅行(令和編)

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   東濃の砦、ネット初出三砦目 
               
                      猪狩山城
イメージ 1中尾砦の木曽川対岸、川からの比高220mの山上に築かれている。
 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館美濃・飛騨・三河・遠江編』によると、笠置村史からの引用で、永禄7年(1564)城主茂地野修理太夫と久須見峯山城主松尾左京との猪狩の戦いを記している。松尾の夜襲により茂地野は城を脱出したが、横引地内で追いつかれ茂地野は討取られた。松尾左京は秋山信友の部将松本左京亮長継の誤伝とする説もあるそうだ。
 
 武田が領有し得たかわからないが、木曽川右岸にも在地先方が攻め込んでいたようだ。

 記事中の堀・郭名は、宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版に準拠し、測値も同書に拠り、北西尾根から城内を辿る。

イメージ 2北西尾根堀アから城内
 
土塁が沿ったような掘割の道が通る。










イメージ 33
 
堀イの先から南東堀ウ間が猪狩山城の主城域となろう。

写真右の西から南西下方を南東尾根への通路がある。






イメージ 11堀イ土橋
 
堀イが北西から主城域内への関門となっている。











イメージ 12土橋先(城内)、掘り込んだ虎口状の構え













イメージ 20城内から

堀イ掘り下げは北東が際立つ。

際は城外側に盛られているようだ。 
 








イメージ 4堀込上の段より堀イ関門を監視
















   主城域内

イメージ 10城内
 

山頂が主郭1で、南西下に郭2、周囲を帯郭が廻る。










イメージ 5猪狩山城主郭1

中央に露岩があり、姫栗老人クラブ富貴会によって平成27月建立された狩山城の標柱が建つ。私の大学2年時で、バイクで付近を走っていた。





イメージ 9南東から

22×10mほどのスペース。












イメージ 8側面にあたる北東斜面には二段の帯郭が配される














イメージ 7西下に郭2















イメージ 21郭2は南西下に帯郭状に延びる

もう一段下の帯郭、その下方の通路を監視する。











イメージ 22郭2から南西下を俯瞰

帯郭、その下方に通路。倒木が後掲写真の目印。記憶ください。










イメージ 6南東尾根方向

二段あって、堀ウが主城域を守る。












イメージ 13南東下段

下方堀ウとともに南東尾根を守る。












イメージ 14主郭側上段への壁も岩で固い














イメージ 15下段壁下に堀ウ















イメージ 16堀ウ(北から)

堀ウの北を迂回し城内と、西下方帯郭を北西尾根に至る通路がある。










イメージ 17ウ外から















イメージ 23南西下段通路















イメージ 24この通路は上段帯郭からの測面頭上監視を受ける

倒木は郭2からの俯瞰写真でチェックしたもの。











   堀ウの南東 

イメージ 18郭4















イメージ 19郭4南東で下り、城域は終わる
















   登り口

 下アドレス地図ポイント地点から舗装道路(ヤフー地図パソコン上には表示なし・スマホでは表示あり)を北西に上る

イメージ 2550mほどで猪狩山城登り口標柱(写真中央左・白柱)

道路を250mさらに上ると見戸の峠に至る。

猪狩山城へは標柱から山道を歩く。しかし幾筋か分岐があり、表示はなく、私は感が冴えず二か所で間違え1時間半ほど彷徨った。

 記事が壊れがちなので、山道のポイントと、迷ったがゆえに出会った信仰施設を思わせる山中の巨石列、見戸の峠とオンデケ坂は、次記事にて付加します。数日お待ちください。

参考文献 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、pp.82-3