猪狩山城、補足します。
猪狩山城登り口
山道の分岐 何ヶ所か分岐があり、この日はカンが冴えず、ことごとく間違えました。
左へ
上の道
直進
ここを右上に登ると石列の上端に至ります。物好きな方はどうぞ。
猪狩山城へは直進し、石列が横断するところで石列に沿って、左へ折れます。
石列を楽しみましょう
小山頂部が石列上端
自然石かと思ったが
並んでる?
古代の信仰にまつわる構造か?(ししがきだそうです)
積まれてる?
並んでますよ
驚きの長さ
歩測していないが数百m。
下方に先の直進する山道
山道を横切ると別の山道に沿って石列がまだ続く
この石列の続く山道を辿れば猪狩山城へ到達します。
城の防御構造には見えず、またこの延々とした構築は獣除け程度の意思ではない。
巨石に纏わる古代の信仰遺跡に感じたが、時間を見つけて恵那の郷土史書籍などに、あたってみたい
(東農の友達によりますと、ししがきだそうです)
行きは1時間半ほど山中を彷徨ったので、登り口から猪狩山城到達に要する時間はわかりません。帰り、堀イから登り口まで18分でした。
オンデケ坂の峠と城戸
猪狩山城登り口舗装道を北西に上る
250m程で峠へ。
峠
宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p.85を参考に記す。
峠の西(写真左)のお宅の屋号が見戸(写真個人宅のため掲載せず)。
東のお宅の屋号が東木戸で、宮坂先生は、この峠に城戸の存在を推定し、猪狩山城の北を守った関門と考えている。
峠の東の坂はオンデケ坂と呼ばれ、猪狩山城落城時に城主茂地野修理太夫の一子某が樋田弥左衛に托され、樋田の郎党に背負われて逃れる途中、オンデケ坂で補足され、郎党共々討ち果たされたという。
夜な夜な「オンデケ(背負って行け)」と泣き叫ぶ子どもの悲鳴が聞こえ里人が塚を築き供養したところ声が止んだと伝わる。
おんでけ坂
オンデケ大明神