郭4西辺縁(上2枚)と郭4西辺縁下から郭3張出(左)と凹み部
(記事後部に掲載したのですが、冒頭にあがってきてしまいます。)
作成中に写真と文字が思うように入らなくなり、どんどん記事が壊れていきます。霞城記事構成改め、三部構成とします。
2では城内中枢郭主郭1・2・3と4の様子を中心に綴ります。
記事中測値は宮坂武男(2013)『信濃の山城と2』、戎光祥出版に拠ります。
おおよその郭(数字)・堀(カナ)位置を書き込んだ
(郭2南西出入口より)
郭1辺縁は石積により他の郭よりも高さを保持している。
郭1南東石積
霞城縄張図(主郭設置説明縄張図を引用し、ブログ説明用に郭・堀・地点名を加筆)
郭が広く複数造成され、平成30年新春記事の他の城よりもスペースがしかっり確保されている。郭と郭が虎口で結節されている。
近世城郭を思わせる構造である。
霞城主郭1内(南東より)
28×22mのスぺースで、辺縁は直線で折れを伴い多角に形成される。
左(西)から奥(北西)に郭3、右(北東)に虎口と通路となる帯郭が巡る。
主郭虎口
掘り込まれた虎口で、帯郭状の通路に接する。
通路北西より
上杉圏構造としてよいと思う。
主郭北西下
3,4と主郭側が高く石積により区画され配される。
イの北にはさらに郭5、堀ア。
四角と記したポイントは郭3が張出す。
郭3四角張出部
南西下
郭のとり方がシリーズでみてきた山城とは異である。
郭2と3は段差で区切られていたようだ。区切りの3側に主郭壁下が小高い。
南西下
郭2出入口を監視。
郭2出入口
外から
果樹園改変にもみえる。
しかし、大石の設置から、果樹園以前からの城構造であろう。
郭3・4
郭2との段差石列から郭3
高所郭1の統制下。
小高い区画は城構造か疑問。
奥に四角くい張出部。
段差石列
ちょうど影の下…。
郭3北西四角い張出
郭4北部から
遠藤先生の講演(2018.2上田市西部公民館)によると近世の石垣のように郭の圧に耐えうる構造ではなく、中世の石垣とおっしゃっていた。近世の石垣のような重量構造物をのせることはできないようだ。
その南
折れへこむ。
しかし、このような辺縁の折れは、上杉・武田圏では、かなり新しいと考えてよいのではないか。
南西隅の積み方