金井山城(長野市松代町寺尾) | えいきの修学旅行(令和編)

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金井山城
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上信越道がぶち抜く金井山城の勇姿
この城は、私が昨年歩いた城の中でも驚愕度の高いグレードに属する。
 
 上信越道を上るとき、長野IC手前でこのような岩盤をトンネルがぶち抜く。甲越の争乱時は越後勢から松代(海津城)を守る城壁となっていたことであろう。その山上が金井山城である
 左の鞍部は鳥打峠で、峠の南西に派生する尾根伝いに寺尾城に至る。
 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』(以下宮坂2)では、明言してはいないが金井氏の城と捉えているようで、天文19年の武田の砥石城攻めに際して、寺尾氏らとともに武田晴信に内応、村上・高梨の連合軍に攻められたものと思われる。金井四郎重勝の娘は真田弾正忠幸隆の側室で、宮内助高勝をなしているので、晴信が真田に寺尾城を地蔵峠を越えて救援に向かわせた際も、その対象となったものと思われる。救援は間に合わず、寺井城は落城したため、金井山城も運命を共にしたのであろうか。
 天正10年、景勝領下の金井山城の状況は伝わっていない。
  しかし、平成30年前振りで綴っている一連の城の中では、際立って異様であり、上記の範疇の城ではない気もする。
 
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宮坂2に準拠し、郭・堀名をおおよその位置に書き込んだ
(上写真の裏側から撮影した写真)
右下方が鳥打峠。
まず鳥打峠から堀オを乗り越して主郭1へ至り、ついで写真左方尾根先方向堀アへと辿る。
 
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鳥打峠
松代藩の使用に怖気づいていたが、降雪迫り、意を決し挑んだ。
 
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稜線上、古墳が点在
 
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私の2017Max岩尾根の始り
 

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スタート
 
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どこをどう登るのか
岩の間を縫うルートを探り当てながらの昇降は、信濃の山の自然の迷路のようで面白かった。
 
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信濃の山の岩の間
私は一人なにをしている。
 
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おぅ
 
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しかし、登れば下らなけらばならない
落葉が滑り、危険。
 
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寺尾城を視認
 
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堀オ
主郭側は壁。写真左に主郭西面堀エに至る一筋ルートとあり(危険)。
ここから城。
 

 
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主郭後背鳥打峠側土塁上から金井山城主郭
コの字状に囲郭されている。
尾根先方向・西に一段低く1´が区画される。
 
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主郭後背土塁上から堀オ
落葉で壁が写真でははっきりしないが、壁下にオ
 
写真右側主郭南西下西のン堀エからから一筋ルートが通る。
 
 
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主郭1中央付近から後背(鳥打峠側)東部
 
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郭1中央から西部
西に一段低く郭1´。
右、古墳下方に郭5。
 
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古墳下方に郭5
 
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石積壁(段差)下に1
写真左方(南西)に出入り口。
西は土塁下に堀エ。
堀エ面の土塁は、郭2との高低差がないため、胸壁・遮蔽が意図であろうか。
エの先は尾根先西方向、郭2、3。
 
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出入口
虎口を重ねる。
しかし、郭1´を掠めるだけで、郭を経るところまでは至っていない。
 
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石積段差
あえて石を積む必要はなんだろうか。
 
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虎口の重なり
 
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このほうがわかるか
 
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1´虎口の前
矢印方向に堀エ南西下方に接続する。
 
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土塁・壁下に堀エ
 
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エ南端
下方に堀オへの通路あり。
 
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堀オへの通路
けっこう危ない。
 
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土塁上からエ
 
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エ北端
 
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郭2側から1´・1
 
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凄い
 
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これを掘る動機って何か
その強固な意思って何か。
 

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堀エ南部から郭2を見上げる
これは城か。
 
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これでは郭として使えない
かろうじて側面帯郭状利用と、西小スペース郭2は使うことができるか。
 しかし、あの立岩は、人力で落とそうと思えば落とせるのではないか。郭として使えないのではなく、岩信仰を崇めたまま、城に取り込んでいるという解釈もできるだろう。
 
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かろうじて帯郭
 
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かろうじて西尾根先方向小スペース郭2
郭2なども防御点ではなく、岩信仰にまつわるスペースかもしれない。
 
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西から郭2
祭祀の場か。
 
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郭2から西
堀ウ、郭3、3´、堀イと配す。
落葉、実見には最高なのだが、写真でみると段差・高低差がわかりにくい。
そして滑る…。
3´は堀イに面し土塁を備える。
 
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堀ウ
(本当です)
 
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ウ南西
 
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北東
 
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郭3
 
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郭3から2方向
 
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下って、3´
 
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3´土塁
 
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面から(3´土塁)
この土塁も胸壁+遮蔽意図であろう。
 
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土塁下 堀イ
 
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堀イ
圧巻。
 
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あっかん
基部は大岩壁。
 
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西から堀イ、3´方向
 
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こんな城、見たことない…
 
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南西に通路
 

 
   堀イで城域の区切りとしてよさそうだが、少し登り郭4、堀アがある
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郭4 その西に
堀ア
 
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先のイ、エに比して緩い。
宮坂2ではこのアを西限としている。
 
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斜から(ア)
 2017私の城納め城
 
   まとめ(感想)
 
 金井山城は、私の城の常識を破壊するほどの驚愕の城でした。岩の許容に城ではないのではないかと懸念を抱きつつも、圧倒されるばかりの堀の遮断意図を見せつけられ、いやこれは城だと思い直す繰り返し。紛れもない城ではあるのですが、私には、金井氏の城として他の戦国信濃侍の城と同類とするには違和感を覚える城です。
 歩いた時期(12月上旬)が信濃の山の威力をぶちかますタイミングであったからかもしれませんが、私の2017年城歩きの打ち止めに相応しい驚愕の城でした。
 

 

  
参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.163-5