年末のご挨拶 | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 2017年も暮れようとしています。
 今年は、家庭の事情で、基本的に遠征は諦めてすごしました。
 しかし、遠征はあきらめたといっても修学の成果はあがっています。まずなんといっても吉川入河沢城の整備に関わらせていただき、埋もれていた山城を世に出す活動ができたことです。入河沢城は家から30分の距離ですので、必要があれば直ぐに帰宅できるため、仕事の休日はもっぱら入河沢城に入り浸っていました。吉川の方々と検討を重ねながら、遺構の破壊の無いように心を砕き、草を刈り、木を伐採し、地表面・壁面を観察できるようにし、遊歩道を設定しました。11月には整備作業が成り、現地説明会も開催されました。
 そういえば珠洲の飯田城も凄い藪でしたが、今年6月に中井先生を講師に招いて戦国山城体感の現地説明会がされたようで、もしかしたら私の修学旅行が能登の藪下の山城に灯をともしたのではないかと自賛エピソードを作っています。
 中井先生の講演を1月長浜、11月吉田で拝聴する機会を得ました。長浜では恥ずかしくて声を掛けることができませんでしたが、吉田では御記憶いただけていて、原田さんの紹介と古宮のお話を聞かせていただくことができました。珠洲の話は時間切れできませんでした。
 他、歴史学部の科目試験を受験・パスしつつ講義を受けて歴史学の基礎勉強を固めました。
 受験・受講できないこともありましたが、遅れに困るという状況でもなく、習得は順調です。
 しかし、私の歩く山城は文献などない城がほとんどで、どうも考古学のほうが使えるのではないかという想いが強くなってきており、今後どうしようか、あれこれ考えています。

 家の調子を見つつ、プチ遠征も行うことができました。
 プチは織田ー朝倉浅井の近江戦線に築かれた朝倉の城である中島城・丁野山城・田上山砦・東野山城・大嶽城を歩き、朝倉本拠越前一乗谷山城との築城技術の比較を愚考したりしました。
 日帰り圏の上野は、平井金山城・国峰城に行くことができました。金山城はじつはこのブログの発端になった城であり、7年の時を経て歩き、その間の自分の修行により、見える事柄が異なることに苦笑しつつ、よくものめり込んだものだと苦笑しました。
 北信濃も1時間圏内のため、機動・弾力的に1・2城のペースで出撃しました。残雪狙いすました小境城から、信濃先方衆の案内で駒澤討死の虚空蔵山城、岩尾根修行を強いられることになった綿内要害、尼厳、金井山、霞・竹山(ここは岩ではなく竹が凄い)・古城山城などを踏み破りました。このあたりのターゲットは、あと霜台城を残すのみです。
 
 織田ー朝倉浅井の近江戦線は、まさに戦国の大舞台です。川中島海津城周辺も戦国大舞台なのですが、こちらは尼厳の他は国人よりも小さな身代の侍の持ち城という視点で私は堪能しました。私の視点はともかく、両地域は平成の景色を見ても戦国の舞台情景に耽ることができます。来年のブログでは、その戦国の大舞台の情景を書きたいと思っています。

 10月には作手の原田さんに来越いただき、越後を連れまわしてしまいました。
 今年は越後・信濃の城の案内を乞われる機会も増えました。
 私にとって2017年は、このような一年でした。
 
 しっかり、城いってるやん!   

 と思われるかもしれませんが、前年の1/10くらいです。

 懸念の家族の事情も波は有りますが快方に向かっていますので、来る2018年は、川中島を南下して更埴・小県へと馬を進めたいと思います。スパイクピン付き長靴履いて鈴鳴らしながら、らんまるさんの会社の前をうろうろしてみようかしら。
 また、東濃Mさんに引導をつけていただいた中尾砦他東濃に打ち込んだ武田の楔も確の目で確認してきたいです。
 連休があれば竹さんが活躍してる東北へも長躯挑みかかってみたいと胸躍らせています。
 来年もどうぞよろしくお願い致します。

イメージ 3残雪絶妙のタイミングで小境城の竪堀を撮影















イメージ 4もしかして、俺はイカレているのかと不安になりつつも、ひとり飯山の山中で歓喜の叫びをあげる











イメージ 2夏 入河沢城整備作業
















イメージ 1初冬 看板が設置された入河沢城


















イメージ 14朝倉の対織田近江戦線の砦 丁野山城

朝倉の横堀












イメージ 15中島城

元亀の朝倉の虎口。

誰もいない滋賀県の雪山で、いったい私は何をしているのか。








イメージ 13丁野山砦から大嶽城















イメージ 17行きました大嶽城

あのような高所に土塁のみならず石塁で囲う。













イメージ 16竪堀もでかい

大勢力(朝倉)ゆえの大普請か。













イメージ 20朝倉本拠一乗谷山城














イメージ 21畝状空堀

朝倉本拠とはいえ、近江戦線に比べ、防御城郭構造は古く思えた。












イメージ 29上野国峰城

こんな尾根も喜々として登る。












イメージ 30まさに戦国の堀切
















イメージ 31平井金山城

6年の修学を経て虎口の見え方が異なる。














イメージ 10その山容の怖気づき、見て見ぬふりをしつづけた虚空蔵山














イメージ 28信濃先方衆の案内で制覇
















イメージ 5尼厳城

城心ついてより何年も忌避していた。














イメージ 11

















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イメージ 7大手の関門まで下り、再び登る

岩を見に行ったのではない。













イメージ 9眺望を楽しみに行ったのでもない
















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城を見に行ったのである
















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天空の空堀

こんな高い所でも戦ってるなんて…。















イメージ 18私的には尼厳・寺尾では、寺尾のこの堀端の石による段差構造と掘り込み虎口に心魅かれた

土留めや道の補修ではなく、天正期上杉圏下の造作と考える。






イメージ 19小さいが掘り込まれた虎口にエキサイト















イメージ 25金井山城















イメージ 22金井山城は鳥打峠から挑むが、今年のmax岩尾根













イメージ 23一人信濃の枯れ山で、こんなとこすり抜けてる自分に哀愁…












イメージ 24ルート選定は、迷路を楽しむようだが、降りるってったって、落葉で地表面は見えず、滑る…

掴まる草木も枯れて少ない…。









イメージ 26城って素敵















イメージ 27皆様、よいお正月をお迎えください