若宮城後編 | えいきの修学旅行(令和編)

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後編では、大手ルートから城内に入り、各尾根筋の様相を紹介します。

 

 

 五本の尾根筋を辿るため、写真・記事が膨大になります。大手尾根筋から順に時計回りで、各尾根ごとに項を線で区切り、宮坂先生の鳥瞰図をブログ説明用に引用・加筆し書き進めます。
 
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まずは大手ルート
大手の尾根筋にのみ、削平された郭が設けられ、軍勢の収容が可能である。
 郭と郭は、壁と壁下に堀られた堀切により区切らているが、堀そのものは厳しくはなく、遮断を主機能としてはいないようだ。
 
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入り口に宮坂先生の鳥瞰図、縄張図が飯綱町教育委員会によって設置されている。
 宮坂先生の偉業あってのことであるが、宮坂図が掲示されることにより、若宮城の史跡・文化財としての価値がどれほど高くなることか。
飯綱町のツボを押さえた文化財施策感謝する。
 
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せっかくなので宮坂先生の縄張図、引用させていただく。
 大手筋の郭だけでは、大軍の収容は無理であろうか。前編で辿った小屋エリアにも軍勢を収容したのであろう。大手筋郭には守備兵、小屋エリアには出征部隊といった運用か。
 
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登り口
 
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西園寺堀ーテラス線を抜け
 
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羽黒権現社脇をかすめる
 
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ったさきに郭4西園寺屋敷
ルートには、屈曲、横矢掛など工夫は見られない。
 
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郭4西園寺屋敷
城内最大の郭。
 
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西下テラスを監視下に置く
 
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城内側は一段高く郭4´
 
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郭4´後背は、前面に土塁線を備えた堀陣地と、さらに後背郭3が上段に待ち構える防御陣地と観た。
前段の機能は?
 
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書きこみなし
 
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接近
 
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前段
運用は?
 
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塁線と堀
堀って前に盛るという普請で、隔絶遮断といった構造ではない。
後方上段に陣地あり、この塁線・堀陣地を監視・支援している。
 
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東から
前面に胸壁を備えた射撃(弓・鉄砲)陣地と観た。
土木作業量としては、大きくない。
 
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東は竪堀として降る
 
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前面土塁を胸壁にした陣地より、戦闘正面をみる
堀ではなく、迎撃陣地である。
 
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壁後背上方陣地へ
 
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上段陣地
塁線土塁を備えない。
 
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上段陣地から、下段陣地をみる
完全監視、支援が可能。
上下二段の上杉構造でいいだろう。
 
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後背、登ると郭3
その前に竪堀一本。
ここも坂ルートで、ルートそのものには屈曲や横矢掛けなどの工夫はみられない。
 
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竪堀
 
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先の上段陣地を俯瞰
郭3が監視・掌握している。
 
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郭3
 
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郭3北部(主郭側)
櫓台状の高まりがあり、堀、郭2付随郭へと続く。
 
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櫓台状高地
櫓台の脇から堀に出、郭2付随郭へ昇降したか。
 
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櫓台から郭3
 
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遊歩道で、櫓台、堀を乗り越す
 
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郭2付随郭の上段に郭2
 付随郭南西端から南南西尾根が派生する。南南西尾根には前編で紹介した上下二段の射撃陣地構造がある(後掲)。
 
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郭2北部
主郭南大壁下堀切と前面土塁。
 
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塁線を乗り越し、主郭南壁下大堀切
大堀切とはいっても、緊迫した遮断意図は感じられない。
 
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主郭直下、主郭を守る大堀切
遮断ではなく、別機能の堀ではないか。
 
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急壁
 
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振り返る
急壁直下、前面土塁を胸壁にした防御陣地としての機能ではないか。
 
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山頂、主郭(郭1)へ
主郭の様子は前編掲載のため、大手ルート辿りはここまで。
 

        

南南西尾根
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 南南西尾根は掘切で遮断されておらず、段々と小削平地を重ね、下方緩斜面に対して前編で取り上げた射撃陣地(前面に土塁を備えた浅い堀)で備えている。
 
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郭2に付随する郭南南西に派生
舌状小削平地が段々に連なる。
 下方に向かって、左(東)は南小屋、右(西)は舟竹小屋。小屋写真は、前編掲載のため掲載しません。前編を参照ください。
 
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堀切で遮断はされていない
 
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そして、切岸下に前面に土塁を備えた浅い堀
背面切岸上は土塁を伴わない削平段で、上下二段になった天正期上杉の防御施設と観た。
前編と同じ写真では面白くない。違う写真を掲載しましょう。
 
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東は前面土塁を備えない
 
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西は前面土塁を備えたまま竪堀となり下る
 
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土塁を備え降る竪堀は、下方舟竹小屋井戸への接続通路であろうか。
宮坂図では竪堀下に水の手を記している。
 
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前編とは反対、西からの写真
前面に土塁を備えた横堀陣地でいいだろう。
 

                
南西尾根
 
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南西尾根は、主郭急壁直下に一本堀切を入れているが、南南西尾根同様、小削平地を段々に重ねている。
 
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主郭から南西尾根
急傾斜だが、次に辿る後背北西より緩い。
 
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南に竪堀が沿う
 
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主郭急壁が一旦緩くなるところから主郭をみる
尾根右(南)に竪堀が沿う。
 
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その下方に堀切
 
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緊迫感は感じられない
堀切下方にも削平段。
その段も、壁状に拒む段ではない。
南南西、南西はさほど警戒していないのではないか。
南南西のみ、水の手確保のために横堀陣地を設けたのか。
 

                          

主郭後背北西尾根
 
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急壁下鞍部に三重堀切を設け、最も厳重に警戒している。
 
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主郭から北西尾根
行くべきか躊躇するほどの急傾斜で、三重堀切があるのか疑心暗鬼。
意を決し、Go.
 
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鞍部が深い…。
堀切か。
 
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やや斜から
宮坂図、堀切に命名しておらず、主郭側から一、二、三重目と命名した。
上杉の多重畝状空堀構造ではないようだ。
 
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北西尾根一重目堀切
 
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南西下方
反対の北東下方から、東尾根へトラバース可能。
 
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一重目堀切から主郭側を見上げる
こんな急壁、さらに三重堀切。
最も恐れられた方向であろう。
 
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二重目
 
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三重目
 
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城外側北西尾根から
越後に向かった北西に、急壁、さらにこの遮断堀切。
これは、天正10年の上杉普請ではないのではないか。
 

                           

最後に東尾根
 
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 尾根に三本の遮断堀切を設けている。さらに、一本目に横堀と竪堀を加え強固な備え。向きを変えて尾根筋に沿って北東面に前編で扱った塁線土塁を備えた堀を設けている。
 
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主郭から東尾根
下方に一本目堀切
 
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東尾根一本目堀切
 
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左方(北)竪堀となり下がり、土塁を備えた横堀、さらに畝状竪堀と連結し、備えている。
 
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堀線
 
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横堀線は畝状竪堀で掘り下げ、一旦終わっている
 
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畝状に竪堀り、北斜面回り込みを阻止。
前編で辿った、北尾根北の前面に土塁を伴う堀にはトラバース不可能。
東尾根上を東に進攻。
 
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東尾根上
一本目堀切から東に進攻。
修(苦)行のクライマックスへと向かう。
 
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東尾根二本目堀切
 
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右方、南から東方へ降る
 
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二本目堀切から尾根筋は、やや南東へ向きを変え降る
しかし、藪、笹が、絶望感をもって拒絶する。
やや右(南)下方から突破を試みるが、途中で断念。
尾根の左(北)側から突破を試みるが、尾根の乗り越しも苦行マックス。戻るのもマックス。
 
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ぶおぉ
押し返されるように北下方へたじろぎながらずり降りる(落ちる)。
 
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と、下方に横堀線らしきもの見ゆ
 
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しかも、それは前面に土塁らしきものを伴う
 
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東尾根筋の北下、前面に土塁を伴う堀に遭遇し、小躍り
 
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上方には東尾根三本目堀切
 
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途中、藪部もあるが、至れば明瞭
しかし、ここに至るは至難の業である。
 
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東端、竪堀となり終わる。
まとめを書いたのですが、容量が一杯なのでしょうか、表示されません。別記事にあらためます(明日)。