七尾城古府谷山支群(石川県七尾市古府) | えいきの修学旅行(令和編)

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能登にみる天正期上杉の城郭普請 続編 D地区古府谷山支群(ここもネット初出でしょう)
 
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 七尾城北西麓、大谷川に沿う尾根上に築かれている。撮影地側から尾根(古府谷山支群)を越え後方山上七尾城に至る尾根道⑨(破線イメージ)を扼す。
 尾根道⑨に虎口を構え、上方石垣積の主郭北西面直下を通し、完全に⑨を掌握している。尾根道⑨掌握を主眼とした城郭である。
 
 佐伯哲也は)『能登中世城郭図面集』のなかで、その縄張・構造を分析し、天正5年に七尾城を手に入れた上杉方のみならず、天正9年ごろ前田利家によって強化改修された城としている。同書に則り、その構造を辿ってみる。
 
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位置を確認
上写真は、城域北西(左上)から撮影。
城(尾根)の反対(北東)側には、尾根上古府谷山支群に守られた屋敷地が設けられている。
 古府谷山支群、尾根㉖とも、山麓からの尾根筋を警戒して強化した普請だが、上杉が警戒し畝状空堀群を施した尾根㉖の構造とは次元が異なり、上杉・前田双方による一城の築城である。
        
古府谷山支群概念図(愚図…)
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 堀名(ア・イ)はえいき付記、他の構造・地点名称を佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』に準拠。
 城構造は、七尾城外側にあたる尾根先方向と尾根道⑨に対する構えである。
 尾根先方向には堀アで防御し堀中を土橋でB区画に入る。尾根道⑨は、土塁で区画された虎口①でB区画に折れ入る。城の西側斜面には竪堀が連続し、回り込みを阻止している。佐伯は、竪堀の普請が五本であり、畝状空堀群と性格が同じことから上杉築城の根拠にしている。
 B区画は石垣積の主郭北西面直下にあたり、道を主郭の厳重頑強な監視下に西から東、次いで城戸②で南に折れ通す。七尾城内へは、⑤に降り、向かったものと考える。古府谷山支群主郭には、東斜面から屈曲し、虎口③から入る。この虎口③、頑強なニ折れの桝形虎口であり、前田のこの城に掛ける意気込みを感じる。
 
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いきなりシャレのような藪写真で恐縮すが、古府谷山支群主郭A
少々結露がありますが、他の構造写真は、しっかり撮れています。
 
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古府谷山支群主郭A虎口③
 
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書き込み補足
虎口③は主郭A北東に構えられた尾根道⑨からのルートを迎える桝形虎口。
折れ入り、さらに枡形内で二折れする虎口。(後述)
主郭も尾根道⑨に備える主眼である。
 
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虎口③北土塁
主郭北の頑強塁線。
 ルートを進み虎口③に入る勢を受ける土塁であり、かつ、下方北西虎口①から城内に入った尾根道⑨の勢いを眼下に捉える石垣壁面である。
 佐伯は「土塁や切岸の上には、石垣でしか支えきれない重量構造物が建っていたと推定している。」としている。
 
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 主郭塁線は佐伯は土塁がほぼ全周するとしているが、東はほぼ無いのではないか。北から西に強固に土塁が囲う。これも北西からの尾根道⑨に備えた構築と考える。
 
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北西隅
 北西隅から西塁線土塁下斜面には竪堀が三本降っていたようで(痕跡)、尾根道⑨からの回り込みに備えて掘られたものだろう。
 
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西斜面竪堀痕跡
 
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西塁線
 
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西ほぼ中央に切口
 
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切口下方西斜面
郭造成というほどではないが、帯郭様に下段が緩い。
なんらかの用途があり、切口で接続していたようだ。
 
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主郭A南部
 櫓台⑥、⑥南には堀切イが構えられているが、後掲する堀アほどの防御警戒意図はうかがえない。七尾城方向、戦闘後面ということであろう。
 
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主郭A南端櫓台⑥
 
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⑥後方(南)堀切イ
 
さきに虎口③で触れたが、尾根道⑨に備える北面は厳重堅固である。
 
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主郭北塁線下石垣壁面
繰り返す。
 佐伯は「土塁や切岸の上には、石垣でしか支えきれない重量構造物が建っていたと推定している。」としている。
 
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もう一枚
 

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石垣面下腰郭
 
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北面塁線下は頑強に威容示す石垣壁面で、石垣面下に腰郭を巡らせ、主郭・腰郭で、下方郭Bを監視下に置く。郭B北西隅には城外からの尾根道⑨を迎える虎口①が構えられている。
この城の主築城意図は、尾根道⑨の掌握である。
どのように扼していたか、じっくり辿ります。
 

     
尾根道⑨の城内ルートを紫線で書き込み 
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再掲
 尾根先方向には堀アで防御し堀中を土橋でB区画に入る。尾根道⑨は、土塁で区画された虎口①でB区画に折れ入る。城の西側斜面には竪堀が連続し、回り込みを阻止している。佐伯は、竪堀の普請が五本であり、畝状空堀群と性格が同じことから上杉築城の根拠にしている。
 B区画は石垣積の主郭北西面直下にあたり、道を主郭の厳重頑強な監視下に西から東、次いで城戸②で南に折れ通す。七尾城内へは、⑤に降り、向かったものと考える。古府谷山支群主郭には、東斜面から屈曲し、虎口③から入る。この虎口③、頑強なニ折れの桝形虎口であり、前田のこの城に掛ける意気込みを感じる。
 
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郭B北西部
 北西隅は、土塁で区画され、竪堀・土塁・堀アによって、城外からの尾根道⑨を虎口①に限定し、迎え入れる。堀アは北尾根先方向・北面防御線として構えられている。
この区画は、石垣面で頑強な主郭北西面と腰郭によって、上方から二段の監視・迎撃を受ける。
 
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堀ア
北尾根先方向・北面防御線。
中ほどに土橋が通る。
 
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堀アの西端土塁下に尾根道⑨が城外から登ってくる。
そして郭B北西隅(2枚上の写真)に折れ入る。
 
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尾根道⑨が城内に折れ入る虎口①
 
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折れ入り状況
上杉ではなく、織豊(前田)の香り。
 
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虎口外、尾根道⑨
右側面上、堀ア西端土塁は、外部にまで土塁が延伸、⑨に対し側面から監視・迎撃が可能である。
ここを攻城兵は一列渋滞で向かってくるよう限定されている。
 
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城外から尾根道⑨を虎口①へ向かう
二本目竪堀手前で左折れ、虎口①。
 東斜面(右)には竪堀が二本(主郭西面もあわせると計5本)降り、回り込みを阻止。左は土塁、堀アが構築され、攻城兵はこのルートを一列渋滞で進むしかない。
 
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虎口①へ
 
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虎口①入ると、土塁で区画された郭B北西隅
 左は堀ア、右は石垣面で頑強に構築された主郭北西壁面上の主郭と腰郭によって、上方から二段の監視・迎撃を受ける。
ルートは狭まっていく郭Bを東に直進し、主郭北東隅下で南に直角に折れる。折れ地点先は城戸②が塞ぐ。
 
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 石垣面で頑強に構築された主郭北西壁面上の主郭、腰郭が威容をもって立ちはだかる。その威容を誇る二段の監視・迎撃を受けながら、直下を狭まりながら侵攻する…。
 
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郭Bは東に狭まる
狭まった先、郭B東折れ部。
低い土塁状構造があり、佐伯は城戸②としている。
 
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城戸②
ここで塞がれ、突破を計ろうとしている間、右側面頭上から矢玉が降り注ぐ。
 
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城戸②右側面
 
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城戸②を抜け、折れ、七尾城内へは左方の谷に降りる(概念図紫破線)。
古府谷山支群主郭へは、右方へ折れ上がり、さらに左折れし、主郭虎口③から入る。
古府谷山支群主郭へ向かいます。
 

 
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折れ上がり、主郭へのルート
先でさらに左折れ。
もちろんこのルート、側面上から主郭からの監視・迎撃を受ける。
 
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張出した土塁(石垣)にあたり、左折れ、その先に主郭虎口③
織豊プンプン。
 
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側面 
主郭から刺される。
 
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張出した土塁(石垣)にあたり、左折れ、古府谷山支群主郭虎口③
土塁(北西面は石垣)で頑強に構えられた桝形虎口で、桝形内でさらに二折れを強いる。
 
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二折れはおよそこのようなイメージ。
 
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段差があり、左に折れる
 
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北土塁上から
 
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主郭へ至る(最初の写真)
 
 このように、古府谷山支群は尾根道⑨を完全に掌握し、主郭へは計画されたルートが設定され、効果的な守備が可能である。
 そこには、上杉の築城を思わせる連続竪堀の他に、織豊の築城術である折れ入る虎口が構えられ、上杉以降に前田が手を加えたことを示している。
 前田も七尾城を利用するにあたり、この尾根道⑨を強く意識し、改修したわけである。
 石垣構築、主郭の規模、七尾城側に屋敷地が付随することから、私は守備責任者による担当守備地というだけでなく、前田家中城持格の侍の在城を想定する。
 
 佐伯は「なぜ利家が多数存在する山麓遺構のなかで、大谷川沿いの本遺構のみ改修したのか、重要な課題の一つといえよう。」と課題を提起している。
 

 
アクセス  
     
尾根の東、七尾城側には屋敷地のような区画が並ぶ
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 佐伯は平坦面⑦⑧に井戸を検出し、土塁で囲まれているが防御力が低いことから居住スペースと想定している。林道がとおるので(鎖で封鎖されている時期もある)、古府谷山支群へは、この林道が北東に折れる直前に右(西)に入り、尾根上を目指すと至ります。
このあたりからhttp://yahoo.jp/lHXGcH
 
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後世の道だと思いますが、平坦面⑤までたどり着けます。
⑤北東下の区画の東突出が睨み、城道のような印象もあります。
 
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平坦面⑤
 西(写真左奥)に進めば虎口③に至ります。また⑤から南に一段あがった平坦面から破壊道で主郭A南部に至ることもできます。
 
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⑤南の平坦面から主郭南部
good luck.
 
参考文献 佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』、桂書房

おまけ
 
主郭西塁線土塁を主郭内からもう一枚
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主郭内石の集積
戦時建造物だけでなく、御殿に類するような居館でも建っていたのではないだろうか。