茶臼山城1記事中、10月1日リニューアル公開時点では、塹壕状陣地aの写真が無く、掲載しないとしていましたが、写真を撮ってきました。
茶臼山城1記事中の、頚城村の山城 花ヶ崎城と茶臼山城に掲載の重複部分を削除し、10月4日に以下を追加しました。(○説明と概念図は頚城村の山城 花ヶ崎城と茶臼山城もあわせて追加・差し替えました。)
○主郭の北、五郭下に、緩斜面に向かって低い土塁を胸壁とする塹壕状陣地aを設けている。この陣地は後背の土塁のない切岸上五郭部とセットになった防御施設である(遠藤 2004,p18)。
主郭設置説明板をブログ説明用に加筆し使用
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/42/76/j/o0400029314510096831.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/0c/30/j/o0448029914510096834.jpg?caw=800)
主郭北下帯郭五郭東部とその下方塹壕陣地a
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/12/b9/j/o0448029914510096839.jpg?caw=800)
降りました
前面に土塁を設け胸壁とする塹壕状射撃陣地と、後背の土塁のない切岸上五郭部とセットになった防御施設。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/77/6c/j/o0448029914510096842.jpg?caw=800)
前面土塁を胸壁とする塹壕状射撃陣地a。
茶臼山城3で、二郭の解釈を補足しました。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/11/67/j/o0400026714510096847.jpg?caw=800)
三郭で、城門1からの主要登城路とルート2が合流し、土橋で二郭へあがる。
二郭で直角に東に折れ、城門1上架橋で堀イを渡り、主郭へと至る。
つまり、 二郭は、主郭出入口前に配された馬出施設で、南から入り、二郭で直角に折れるという先進的な構造をもつ。上杉の戸張の可能性もある。
堀ウ側には主郭土塁よりも高く幅広の土塁を備える。
一人あたりの縄ノ高-本納の差異、花ヶ崎を加えました。
|
本納
(石未満切捨) |
縄ノ高
(同左) |
縄ノ高―本納 (給付―徴収)
(小数点二桁以下切捨) |
|
やすミ村 |
46石 |
111石 |
+65石 |
+1.7石/人 |
町田村 |
179石 |
313石 |
+134石 |
+1.3石/人 |
手嶋村 |
347石 |
334石 |
-13石 |
-0.2石/人 |
畠崎村 |
203石 |
222石 |
+19石 |
+0.3石/人 |
花ヶ崎町 |
185石 |
183石 |
-2石 |
±0石 |
参考文献 遠藤公洋(2004)「戦国期越後上杉氏の城館と権力」
伊藤正義(2014)「越後国頸城郡絵図に観る上杉権力と在地世界-村町の軍役と諸役の負担体系-」、米沢市上杉博物館『特別展上杉家伝来絵図』、川島印刷