文殊山城(愛知県新城市清岳字見徳) | えいきの修学旅行(令和編)

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一連の作手の記事、この文殊山城がエピローグになります。                               
 文殊山城
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 主要な構造は主郭単郭で、周囲に横堀が巡り、北東に馬出し状の郭Ⅱが付属する。堀切があるが土橋で北東尾根賽之神城方向に接続している。主郭には品のよい物見櫓が立つ。
 
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 普段私が歩く信濃や越中の山城では、クーさんやカモシカ君にはよく出会うが、人に会うことはない。
 私が主郭辺縁から横堀を見降ろしていたら(もちろんいつもの信濃の装備)、背後から視線を感じた。
 カモシカ君か?と振り向いたら「山城をお歩きですか」と人間の言葉が掛って、少なからず衝撃をうけた。カモシカ君やクーさんには驚かないのに人に驚くとは、私はやはり、いってるのかもしれない。
 
私はここ文殊山城で、幸運にも作手山城案内人の原田さんに出会ったのである。
 
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南東部土塁
 
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南面
 
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虎口ではないが、南横堀に降りる階段が設けられている。
 
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横堀 南
 
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横堀 北
三河でも、城好きは藪を厭わないようだ。
 
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 『愛知の山城ベスト50を歩く』では、西に主郭虎口Aとの接続が記されているが、林道造成による改変ゆえか現況ではよくわからなかた。
 
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主郭を西から
作手の陽は明るく暖かい。
 
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主郭北面には土塁が明瞭に残る
 
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発掘調査に基づくものではないが、柵・物見櫓が山城の雰囲気にいい。
 
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物見櫓から亀山城方向
『愛知の山城ベスト50を歩く』によると「奥平氏が武田氏との和睦の証として築城予定であったが、延引した。武田氏からの催促により一夜で築いたため「一夜城」と呼ばれたと伝えられている。」とある。
私は作手の城の中では、この文殊山城が最も武田風な印象を受ける。
 
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東の虎口B
 
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東に付属する馬出し状の郭Ⅱ
信濃の山城の馬出し風。
 
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北東の堀切を土橋で出てもう一郭舌状にある。しかし、堀切外であり、郭Ⅱ・北東堀切までが城域であろう。
 
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 側面には石による補強があり、城戸に付随する遺構のようにも思えるが、遊歩道造成によるものかもしれない。
 
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堀 北側 
武田の竪堀にみえる。
 
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南側
 
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城外から
小気味いい締まり方。
 

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 歩いた作手の山城なかでは、この文殊山城が武田の城としてはもっとも違和感なくみることができました(古宮城・賽之神城は凄すぎます)。
 武田が奥平の何を監視するかといえば、徳川への寝返りであり、徳川との連絡でしょう。
文殊山城は、亀山城と、亀山城と徳川本領の岡崎城、亀山城と家康居城の遠江浜松城方面との連絡を監視できる位置にあります。
 武田が奥平を監視した城は、この文殊山城ではないかと思います。
 古宮城、賽之神城は各論で述べた縄張・機能から、武田が去って後、作手街道を南下する勢力に対し亀山城方向の徳川領国を守る意図をもって築かれた城なのではないかと考えます。
 
 上杉の構造とばかり頭を占めていては固定観念が出来上がってしまうので、武田の城を書こうと上杉との境目・飯山周辺から、織田・徳川との境目に視点を移し、作手・古宮城へと修学旅行に出かけました。
 ちょうど作手の前に書いたのが、飯山城対岸で上杉方飯山城・城坂城にに対する平沢城です。永禄から元亀・天正と天正6年謙信死後の景勝・勝頼の和睦まで、北の上杉と張った熾烈な戦線の要であった武田の城です。武田の横堀、竪堀、対上杉戦線の熾烈さがわかります。作手と対極の境目の城として平沢城もご覧ください。
 武田の城の修学のつもりが、作手の城達の魅力に引き込まれてしまい、あろうことか武田の城ではないのではないかなどと古宮城、賽之神城を書き綴ってしまいました。作手の城に魅惑された私の僭越をお許しください。
 
 作手は、山間にありながらも狭隘な雰囲気はなく、明るい日差しがふり注ぐ暖かい土地でした。
山川草木が穏やかに明るく輝きそよいでいました。おふうの物語を書こうと構想を練っておられる女性にもお目にかかることができましたが、おふうや仙千代同様、人も作手の自然の山川草木(やまかわくさきのかみ)の化身でしょう。おふうや仙千代が作手の暖かい日差しにきらきらと輝きながら生活していた様子が思い浮かびます。おふうと仙千代の物語はハッピーな結末にはなりませんが、作手の子供達が、同じ作手の山川草木の輝きの中で育った少年少女が辿った運命を見聞きし、情操を想い巡らすことは、郷土や他者を思いやる心を耕す底深い情操教育になることと思います。おふうの物語は、観光活用とはまた違った歴史の活かし方になることと思います。上梓されることを心待ちにしています。
 
 作手は、山城の遺構も素晴らしいですが、それら山城を自然のなかに訪ね歩く歴史の小径が整備され、山川草木ととともにその時代に生きた人々のきらきらとした輝きを感じ歩くことができる素晴らしい取り組みがされています。華美な観光地ではありませんが、多くの方に訪れてほしいと思います。
 
 つくで手作り村や作手歴史民俗資料館を拠点にするといいでしょう。
 作手歴史民俗資料館http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,10149,118,835,htmlでは作手高原(湿原)のなりたちから理解を深めることができます。もちろん、亀山城・古宮城のジオラマや、三河の長者に関しても要所を押えて展示されています。
 
 平成28年2月9日(火)21:30~21:55『趣味どきっ』(NHKEテレ)で古宮城が紹介されるそうです。
 
 しかし、有名になり訪れる人も多くなると遺構の破壊が心配です。心ある方々に訪れていただけることを祈ります。
 
 ご案内・教示いただきました原田様、ありがとうございました。
 この場を借りて御礼申し上げます。
 
 作手遠征を契機に、私の修学課題に三河遠江の徳川城郭ならびに文献が加わりました。
 修学を積み、補強していきたいと考えています。