平沢城1(長野県木島平村往郷) | えいきの修学旅行(令和編)

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 記事が長野県だらけになってきたのと、景勝・謙信の城として越後方の城を書いてきたので、しばらくは武田の城を書きたいと思います。
 まず、北信の武田の最前線要塞とでもいうべき城、平沢城を書きます(飯山城の対岸間近には岩井城があるのですが、笹藪に動物が潜んでいて撮影断念しました)。 
 
 で、また長野県かい。
              
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 飯山城の千曲川(国道117号がほぼ千曲川に沿っています)対岸、木島平村・野沢温泉村付近は、武田の進出地域で、武田を背景に志久見郷・越後内の旧領回復を目論む市河氏が毛見城に拠り越後上杉と対峙していた。
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  平沢城は、木島平から馬曲通りを志久見郷へ向かう位置にある。志久見口には、謙信が新塁(城坂城か)を構え、警戒している。平沢城の構造も、険しさに加え、虎口・横堀など技巧的な構造が見られる。武田影響下の市河により、対上杉の前線要害として機能した城と考える。
 

   城坂城:内容こってりのため閲覧注意 https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496896142.html?frm=theme

 

本記事は、宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠します。
 
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私、ずいぶん苦難の末に到達しましたが、いきなり山上です。
  主郭の西は主ルートのようで二重の堀を竪堀・横堀に変化させ堀底ルートとし、導線を屈曲させ虎口と接続し備えています。後ほど。北は急崖で備えは不要ですが、やや緩い南には二段の腰郭を配し、備えています。上段は土塁を伴う横堀状です。
東は三重の堀切エ・オ・カで猛烈に遮断し、高地には郭2を配し備えています。
 
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三重堀切の南は35~40m掘り下げている。
詳細は、おあずけ。
まずは東尾根の高地郭2を見て来ましょう。
 
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おあずけと書きつつ私が堪え切れない
 
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うっ
早く行け、郭2は右だ。
 
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東尾根
約110m登り郭2
 
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高地に桝形状の郭2
 
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郭2
低い土塁がコの字状に囲う。
背後東は堀キ。
 
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東の土塁部
その背後に堀キ。
 
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うっ
堀キ。
こんな山上に…。
 
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誰が攻めて来るというんだ…。
主郭背後(東)の三重堀切に戻ります。
猛烈に遮られましょう!
 

 
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崇高な聖地遺跡にいる気分
 
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主郭背後(東)を守る三重堀切エ・オ・カ
エとオの間はコの字状土塁で囲った堡塁で、小防御陣地となっている。
南は二段の腰郭を配している。北は急崖。
 
北面は急崖
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この城の凄み
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ズーム

 
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堀オとカの間よりエとオの間が幅があり、コの字状の土塁を備えた堡塁となっているのがわかるであろうか。
 
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書き込みなし
 
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オとカの間は幅細
上杉だともうちょい細く鋭い。
 
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エとオの間、南に開口したコの字状土塁に囲われた小防御陣地
 
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防御陣地から東尾根方向
堀オ・カの二重の遮断線。
 
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堡塁から堀エ越しに郭1
左(南)巻きで郭1への導線があるが、宮坂図では右(北)巻きで郭1へ入れている。
南の下段の腰郭から堀エ底に誘導されるルートがある。堀エ底の石の造作は、そのルートの関門たる城戸ではないか。城戸前でストップした敵をこの堡塁と郭1と土塁付上段腰郭から撃つ(射る)。
 
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のような技巧、永禄以降の武田のハイテク構造であろう。
 
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下段腰郭からの導線
下段腰郭に対しては上段土塁付腰郭が長く頭上側面から監視・横矢をかける。
 
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城戸前に塞がれストップした敵兵にも上段土塁付腰郭・この堡塁・郭1が側面やや背後頭上から集中迎撃。
 
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堀底石遺構
 
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城戸前から頭上郭1を見上げる
北巻きは危険なので、遊歩道(遊歩ではない…)南巻きで上段腰郭を見ながら郭1へ入ります。
 
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上段腰郭
土塁が付き、横堀状。武田の要素。
 
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郭1へ
なんと、説明板が設置されている!
 
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平沢城主郭・郭1
 
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  説明板には、鎌倉~室町とあるが、永禄以降、元亀天正の武田のハイテク構造により強化された城だと思いますよ。しかし、一年に何人がここまで来てこの説明を読むのであろうか。
 
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郭1から東尾根・三重堀切方向
 
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馬曲方向、志久見郷へ向かうルート。
 
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直下平沢集落
左は木島平、毛見城方向。
上方、飯山城方向。
 
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んかある
 
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斜面けっして緩くはないが、二段の腰郭を配し備えている。
上段は土塁付横堀状、下段は通路としても利用。
 
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南西隅で竪堀・ルートと接続
東は搦手というか、三重堀切による遮断構造だったが、西はルートを迎え入れる。
西の普請は、そのルートに対し、技巧を凝らした構造で待ち構えている。
 
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ルート・門を監視
 
その2で。
 
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版、pp.370-3