夜交氏山城 大城2 | えいきの修学旅行(令和編)

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 その2では主郭(郭1)と、郭1へのルート、さらに郭1後方の小城へ至る尾根の普請を辿ります。  
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らんまるさん作図の夜交氏山城 大城 見取図原図

         
 まず郭1(主郭)から
 
↓らんまる図をブログ説明用にA、B、虎口を加筆し引用。
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郭1は石塁で囲郭され、東に虎口が開く。
郭内にはB高地が造成されている。
前面の郭2側は堀ウが隔て、後方の南東尾根は堀エが絶つ。
北斜面は急傾斜のため普請はないが、南西下に土塁で囲われたA区画、帯郭を備えている。
 
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郭1と郭2は第三空堀(堀ウ)によって完全に隔てられている。
 郭1は石塁が囲郭し、郭2は堀ウ塁線に低い土塁を備える。この低い土塁の機能は現時点の私にはわからない。
 
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郭2土塁よりも郭1石塁が高く、郭2から郭1内は見通すことはできない。
 
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郭1内
南北約20m、東西約40m(現地設置説明版)。
高地が造成されている。
城内居館か虎口を監視する櫓台(後述)か。
また昭和62年山ノ内町教育委員会・横倉区史跡保存会設置の説明版がある。
 
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囲郭石塁北西面(堀ウに沿った郭2側)
 
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北西石塁上から郭2
完全に見通すことができる。
足元は堀ウ
 
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囲郭石塁北東面
 
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北から北東斜面は急傾斜で、普請はない。
 
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囲郭石塁南西隅
 
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南西下土塁で囲われたA区画
虎口の枡形かと思ったが切り口がない。
 天水溜か米蔵や食糧庫であろうか。または位置的には堀ウを渡る地点ならびにルート(後述)を制圧する郭にも思えるが、いまいちマッチしない。
 
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A区画の南東に隣接する帯郭
私はここをルートが通っていたと考える(後述)。
 
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帯郭・ルートの上沿いの南西面石塁
 
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南隅、東虎口
石は塁の構造としてのみでなく、投石用としても殺傷力が高そうな形状に思える。
 

            
では、郭1へのルートを考えてみましょう。
 
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郭1と郭2を隔てる堀ウ
ここをどう接続したか。
 
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竪堀となり降り下る北端
宮坂図・らんまる図には描かれていないが、郭1側は竪土塁状に盛り尖っており、回り込みを阻止している。また回った先の北から北東斜面は急傾斜で、こちらからの接続は無理であろう。
 
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堀ウ堀底から
竪土塁が沿い、北斜面への回り込みを阻止している。
 
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明るい写真
 
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ほぼ中央付近に堀ウ底に降り登る踏み跡がある。わきに第三空堀の標柱。
 主郭石塁上がやや低くなっており、虎口もしくは架橋接続部かもしれないが、私には虎口や架橋の痕跡には見えない。後世の人々による踏み跡ではないだろうか。
 
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 南端竪堀へと変化する付近、郭1下には土塁に囲われたA区画があり、桝形虎口的な様子で、そこに接続かと考えたが、土塁に切り口が無く、接続部ではないと考える。
その下方の堀の高低差の小さくなるところを降昇降もしくは架橋し通り、接続したと考える。
      
右回り90°回転してあります(左が北)。
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茶線の南回りルートを私は想定する。
 A土塁下から郭1石塁下の帯郭を経て南隅下切所を通り、南東尾根・小城方向のルートと合流し、ややカーブしつつ坂を登り東の虎口から郭1へ入る。
言うまでもなく側面頭上監視を受けるルートであり、南の隅切所を押えれば郭1への侵入は阻止できる。
また突破され、虎口から郭1内へ入ると、絶妙な高さのB高地が侵入者に対し待ち構えている。
         
では私の悶えたルート、堪能ください。
 
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ここを渡る
 
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堀ウを渡り、A区画には入らずAの土塁下方を通り帯郭へと進む。
 
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帯郭通過中は、左側面頭上を郭1南西面石塁から監視され続け進むことになる。
 
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帯郭の先は落石が散乱するトラバース箇所だが、通行可能
 
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左側面頭上から監視されながら、右下は崖で険しい。
しかし、一人通行できる。
険しいが、切所であり、この険しさこそルートの意義であろう。
左側面頭上から妨害されれば、射られなくても刺さらなくても、右下崖に転げ落とすことは容易であろう。
ここを押えていれば、主郭への侵入を阻止できる。
 
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南隅下
 
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隅を抜けると、右から南東尾根からのルートが合流し、左にカーブしつつ郭1東虎口へ
南東尾根は堀エが絶っている。
 
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線を入れるとこう
 
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右下の崖
ご丁寧に堀エ南端が降り降りる。
鎧を着ていれば、どこまで落ちていくのであろうか。
らんまるさんに「落ちて死んだ侍の遺物ありませんかねぇ」と釣ってみたが、掛かってこなかった。
 
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振り返る
主郭侵入阻止の切所であろう。
 
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カーブしながらぐっと登り、郭1東の虎口へ
 
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囲郭する石塁が切られ開口、桝形はみられないが、虎口が造作されている。
虎口入ると、郭1内高地Bが絶妙の高さで正面に待ちかまえ、虎口に入る者を監視・制圧する。
櫓が揚がっていたか。
 
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南西石塁下、南隅下は、いま通ってきたルート。
 えいきの愚考ではあるが、私はこのルートを、石塁、切所、虎口、高地櫓台が機能的に設置され、侵入者を厳重に阻止するために計画された構造と読み解いた。
 
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B高地から虎口を監視
 
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南隅から隅下を通るルートをみる
しっかり監視、侵入を妨害。

 
では東虎口から、小城へ至る南東尾根筋を辿って行きましょう。
 
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 主郭背後は、まず虎口出ると急傾斜岩場縫いながら先ほどのえいきルートが合流した先に、堀エ、次いで鞍部に上杉の畝状空堀と観る二重堀切オが厳重に守ります(小城側にも厳重に備えています)。
 
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郭1東虎口
 
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虎口から主郭背後
堀エで右に先ほどのえいきルートが分かれる。南東尾根へは堀エを越え岩場を降る。
 
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堀エを越える地点
先、岩場を縫い降りる。
突端まで行ったら、崖で降りれません。
 
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左に降り
 
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縫います
先の鞍部には畝状二重空堀オ
 
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岩場を縫うルートを振り返る
線を入れましょう。

         
ここから鞍部の畝状二重堀切オ   
 
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鞍部の頸を断ち切る
 
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こっちから(大城側)だと印象いまいち
 
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小城側から
 
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瞠目
信濃の二重堀切ではなく、私は上杉の畝状空堀と観る。
ということは景勝期上杉の改修(謙信時代は武田勢力下)。
 
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降り下る北側
 
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堀カの先は郭3群
とはいっても、この断ち切りで城域は終わりと見ていいだろう
 
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郭3頂部
 
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細尾根となる
 
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光さす先に登り坂…
 
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つづきは小城編で。
 
 参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版
       現地説明版
       見取図は、らんまる攻城戦記より引用
 
      本記事中のルート・遺構の読み解きは、えいきの私説です。