講演三本 | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 午前は富山で考古学の試験。大丈夫でしょう。
 午後、越中史壇会の講演会。明日、晴れたら奥三河の作手再訪予定で仕事休めるようにしていたが、雨模様で延期。奥三河遠征には、途中飛騨か信濃の国を長く通らなければならず、馬をだすには今月がリミット。29日に最後の学芸員課程最後の試験となる美術史の試験がある。今週にはその準備を完了させて、来週・再来週に懸けよう。
 
 10・11月は待ち望んでいた講演会が三つあり、気張ってたてつづけに3つとも受講しました。
 
 ①平山優 「信長と武田信玄・勝頼親子 -三方原、長篠合戦を中心に」  小牧市
 ②竹井英文 「信長・秀吉・家康と東国ー中世から近世へー」 栃木県庁
 ③藤田達生 「柴田勝家と本能寺の変ー北国における織田体制ー」  富山県民会館

イメージ 1竹さんの栃木県庁での講演

竹さん、貫禄がついてきました。









 いずれも講師の御著述は読んでいて、内容は著述とそう変わらないのだが、講演だと講師にとっての濃淡が伝わるので心に迫る。
 竹さんのかの名著『織豊政権と東国社会』に代表される学説は、私の心にずしりと据わっている。
 
 今日は、北陸に関してはあまり迫る内容ではなかったが、本能寺の変の時、信長が向かおうとしていた先が備中高松ではなく四国だったということ、さらに秀吉がなぜ信長の確実な死という確証をいち早く得たのかが最大の鍵で、軍を返した秀吉が大坂で信孝に合同せず西国街道を山崎に向かったという行動、さらにその後の秀吉の天下人へと至る行為から、織田家に対する最大の反逆者は光秀ではなく秀吉であるという説は心に迫った。
 
 今年は、ふだんの山中を踏み歩く修学とはまた異なる修学も積むことができている。
 小牧は時間がなくパンをかじっての受講でしたが、栃木では県庁の生協でエビピラフ、富山では県民プラザでハンバーグセットと、いちおうご当地グルメも楽しめました。そして作手ではあの古山城に驚愕しつ、賽之神城、文殊山城を作手の第一人者にご案内いただく幸運に恵まれ、そして古山城は驚愕しつつも本当に武田の城なのか、賽之神城はほんとうにただの出城なのか、あの虎口、土塁の運用、主郭が機能的に城内を掌握するあの縄張りは、武田の影響下なのか、腑に落ちない箇所がいくつもあり、ブログにするにはもう一回は踏み歩かなければ書けないと作手再訪を期しています。
 
 明日、いつもの如く山の写真どどっといきます。夜交氏山城 大城1です。14日(土)に大城2を投稿です。考古学の試験前にもかかわらず、もう書き終えてあります。9日・14日の期日予定投稿です。ご期待ください。