更科峠旗塚(長野県山ノ内町寒沢更科峠) | えいきの修学旅行(令和編)

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更科峠
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 宮坂武男『信濃の山城と館8』によると、中野市更科地区(峠むこう)と山ノ内町寒沢地区(峠てまえ)を結ぶ更科峠の南北(写真左右)の尾根上に、更科峠旗塚があるという。
菅の山城の主によって、峠を押さえ、稜線に旗を建て並べ存在を示威するために設けらられたものであろう。
 
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更科峠へは、いちおう林道が通る。
通行は、軽トラは可能だろうが、乗用車はきついと思います。
 
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更科峠
この両側の尾根上に旗塚が数基ある。
右(北)上尾根伝いに菅の山城。
まず左(南)尾根をいきます。
 
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藪のようにも見えますが、なんとなく道?があり辿れます。
 
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すぐ石の集まりに遭遇。
しかしこれは稜線になく、また宮坂図(宮坂 2014,p.351)には記載がないので、遺構ではないようだ。
 
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稜線にあがる
土盛が二基
これが旗塚で、宮迫図4,5であろうか。
 
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この写真のほうが盛り土がわかる。
やや左にさがって、石遺構がある。
 
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石遺構
しかしこれも稜線上ではなく、西に示威し見せるには適さないと思う。
 
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 高地に石遺構と土盛。おそらく6と思うが、途中左側にも石遺構や穴があり、どれが宮坂図の番号に対応する塚か、わからなくなった。ので、番号なしでそれらしき写真を掲載します。
 
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石と土盛
 
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土盛
 
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峠に降り、北側に向かいます。
 

 
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峠から右(北)、菅の山城に接続する尾根
 
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振り返り、山之内町側
 
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切岸状の段があり、虎口状の通路がみえる。古道であろうか。
 
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う?
 
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あがったところ。
奥、稜線尾根伝いに菅野山城路に至る。沿って宮坂図には3基記されている。
しかしこちらも宮坂図が記す遺構がどれか、わからないため、番号は示さずそれらしき写真を掲載します。
 
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宮坂図よりもやや東に石遺構っぽい石
 
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稜線近くに土盛
これが旗塚
 
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石が集まる
投石用か。
しかし、凄みは感じなかった。
 
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上から
 
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尾根伝いに登ると菅の山城に至る。
 

 
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峠の中野市側にお墓
 
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峠を出て中野市側
 
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上写真撮影地から更科峠
 
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中野側、平野に降りて更科峠
 
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版