郭3東端にも土塁
石積で頑強に補強されている
土塁上端
土塁というより石塁といってよいか。
その先(東) 堀ク・ケ・コ・サ四重の堀切を配している。
堀キは箱状?
箱状に見える…
両端は竪堀となる。
北斜面 竪堀状
ケ、コの「もこもこ」
これは畝かも…
堀サの向うは郭4
四重堀切を振り返り、主郭方向
土塁の使い方、箱状の堀、畝状普請と観ると、景勝期上杉の普請の可能性もあるのではないか。
宮坂先生は「上杉景勝北信四郡統治の頃にどうであったかも問題として残る」と記している。(宮坂 2014,p.235)
郭4東端は土塁と岩場を利用した堀シを設け守っている。
岩場を利用した堀シ
シ向うは郭5
大堀切といった幅広ではないが、雁田城の堀は品がある。
郭5には北東に竪堀スが一本走る
岩場を降り50mで鞍部となる
宮坂先生は、郭5までを城域としている。
鞍部の先は千僧坊へ至る。
また鞍部から右(南)へ、岩松院奥に至る搦手道が降りる。
赤リボンを右へ搦手への降り口
いちおう?遊歩道となっている
岩松院裏手の沢筋に降りる
けっこう不気味で、お勧めしません。
搦手を見上げる
鞍部へ至る付近は険しく厳重(自然地形だが)
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版