姫城は、葛尾城の南尾根先、千曲川に臨む急崖上に在り、存在そのものが堅固
宮坂先生は、建武2年(1335)薩摩氏が籠城した「北条の城」がこの姫城で、村上氏が葛尾城を本拠とするに及び、葛尾城の南と根小屋を守る出城として改修したと推定している。
姫城と岩崎城の間の崖上が根小屋と考えられている。 天文22年(1553)、武田が義清を越後落ちに追い込んだ際の攻め口が、岩崎城写真左の沢から搦手で、義清夫人が姫城から「灯の松」にタイマツを崖を降り、「笄の渡し」で千曲川を渡河した落城伝承が頷ける。
葛尾城2の最後の写真、大手との分岐から、南に尾根を降ります。
主郭から大手分岐まで6分。
(ただし下り)
ハの字に竪堀シ(宮坂)
堀シ右(西)部
もう一本堀切ス(宮坂)
姫城手前100m地点鞍部
ここに姫城100m、葛尾城0。5kmの看板があります。
姫城100m、葛尾城0.5kmの看板
ここまで大手分岐から11分(ただし下り)
鞍部に降り立ち「おっ、もうすぐだ!」と浮かれつつ、
降ってきた傾斜に後ろ髪を引かれる気分。
が、眼前もうすぐ姫城です!
←原圭一作図現地設置葛尾城跡案内図より(茶字ブログ説明用に加筆)
図の左上方に、葛尾城の根小屋とされる大段と言われる段丘があるようでうが、姫城北にも居住区を思わせる平坦面があります。堀ソの脇に、落城時義清夫人と侍女たちが松にタイマツをつけたと伝わる灯の松地点があります。堀タとチの間の郭が主郭。
姫城手前(北)の平坦面
宮坂本では馬場としている。
平坦面南部
二郭切岸右手に、下で集まる二条の竪堀がソがある。
二条の竪堀ソ
下方で集まる。
お墓のような石碑が灯の松の碑
二郭へ
二郭
土塁などはない
奥、堀タを挟んで主郭
堀タを挟んで主郭
二郭東下に降り、堀タの向うに主郭をみる
東斜面
主郭の東斜面を進む
主郭南端下、堀チ
主郭へ上がりながらもう一枚堀チ
主郭へ
標高646m
姫城主郭
帰り、さきほど後ろ髪引かれた姫城から葛尾城への急登が待っています…。
姫城から葛尾城への急登
私にとって、平成25年2番の試練でした。
で、平成25年1番の試練は、葛尾城西尾根、岩崎城から葛尾城への登りでした。
次、岩崎城へ!
参考文献 「現地設置葛尾城跡案内図」
宮坂武男『信濃の山城と館2』