福原圭一作図 現地設置案内図に加筆(茶字)
その3では主郭以南を辿ります。
郭は、地形の制約があり狭く、また防御戦闘を意識した工夫は見られない。
2の郭からは西尾根中段に構えられた岩崎城へ至る道がある。
城域南端 竪堀スの先の一郭に、南尾根を降った先端、姫城に至る道と居館(満泉寺)からの大手道が集まっている。
葛尾城主郭(北東部)
その2で辿ってきた、堀切で幾重にも遮断し警戒した北東搦手方面には、土塁が設けられている。
北東端土塁
北東端土塁から、その2で辿ってきた搦手方向
主郭南西部
左には坂城の眺望、右には戸倉の眺望が広がる。
南は尾根上に郭が配され、姫城に至る。
東、眼下に坂城、千曲川上流には晴信を迎え打った上田原。
義清が睨んだ景色。
西、戸倉・川中島方向
大日方氏が武田に与し、川中島周辺の国人達も武田に付く状況では、こちらからも武田の軍勢押し寄せることになる。
主郭東斜面を道が通っているが、宮坂本、現地説明資料、長野の山城ベスト50を歩くには記述がない。
城道ではなく、近世の見学登山道であろうか。
主郭南西端から、南、2の郭に降ります。
切岸下に2の郭
堀コには岩崎城へ至る道が入っている。
堀コ(西部分)
岩崎城に至る道が入る。
2の郭、3の郭
堀サ、コにより、ひょうたん形にくびれている。
2の郭から主郭をみる
堀コから主郭
こっちのほうが雰囲気がでる。
3の郭の南下にもう一郭
横から
その下、尾根伝い
右(西)側に道、左(東)側に馬蹄段状に小さく削平段が続く。
右(西)側に、竪堀シ
見上げると
右に段、段、段
左に道
途中、城戸跡のような地点
城域南端手前 竪堀ス
城域南端、土塁で囲われた一郭(宮坂本では5郭)
姫城、葛尾城への案内看板がある
左、木が城戸のようなところに居館(満泉寺)からの大手道が入る。
南端降りると姫城に至る。
大手、居館(満泉寺)に至る道
南、姫城に至る道
引き続き、姫城、岩崎城書こうと思っています。
参考文献
現地設置「葛尾城跡案内図」
『長野の山城ベスト50を歩く』
宮坂武男『信濃の山城と館2』