赤坂城(妙高市) | えいきの修学旅行(令和編)

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赤坂城、H25.12月19日時点で、ネット初のようです。
先の鳥坂城で使った写真ですが、赤坂城の位置について見ておきましょう。
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越後から信濃に出る街道が、飯山方面と牟礼・善光寺方面に分岐する山塊の、鳥坂城の約2.7km南南西に、赤坂城は築かれている。鳥坂城新城部とともに、折り歪構造と、堀底通路段差普請を持ち、越後上杉の近代的普請が見られる。天正10年、上杉の武田を滅ぼし信濃善光寺平に進出した織田信長勢の越後侵攻に対し、築かれたものであろう。  
本能寺の変直前、信濃から越後に乱入した森勢は、関山神社に放火し、二本木まで攻め入ったという。
 
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 構図的に寺院跡とする説もあるようであるが、遺構は戦闘的凄味の漂う城郭遺構であり、上杉の新城で間違いないであろう。信長急死により信濃からの脅威は去り、逆に上杉は信濃に打って出る。普請は南下した信濃の前線に向けられ、赤坂城は未完のまま(背面に堀がない)埋もれることになったのであろう。 
 主郭前土橋から図下に屈曲し図左に折れ、主郭背後まで巡る堀は、堀底通路と考えられ、段差防御普請を設け防御戦闘を意識した構造のようである。(遠藤公洋H16戦国期越後上杉氏の城館と権力』 )
 
赤坂城全景(南東から)
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 飯山方面を向いた両側を深く鋭い沢に挟まれた舌状に伸びる段丘上に築かれている。
 私は右側の沢から崖をよじ登り突入しましたが、左の寺尾薬師脇からとっても歩きやすい山道が通っており、私のブログをみて行かれる方は難なく到達できます。 
 城域よりも下、舌先端近くに、城遺構ではないようですが人為的な削平地、石積が見られます。登り道・アクセス・その遺構は その3で紹介します。
 
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山道を登っていくと突き当り右に折れ、二郭へ入ります。
左は南西の沢。
その手前に舌尾根を切るように最前面の横堀が遮る。(右の緑の笹の付近)
 
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斜めから
二郭先端隅は、横堀と道に沿って土塁が構えられている。
 
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最前面の横堀
 
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二郭先端
横堀(横)と道(縦)に沿って土塁が構えられている。
茶臼山城と同じように、道侵入者に対する構えであろう。
 
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二郭へ屈曲しながら入る
 
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二郭内は4段に区画されているようであるが、完成はしていないうに見える。
 
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二郭を突き抜けて、奥、主郭への虎口に至る        
 
写真大きくします。
 
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主郭虎口前
土橋の先で屈曲し、枡形を経て主郭に入る。二郭は虎口右側が張出している。
そして土橋両サイドの堀、これがなかなか見応えがある。
土橋左の堀は、堀底通路とて直角折れを二度入れ主郭背後まで巡り通っている。
途中段差を設け、防御戦闘を想定していたようである。
土橋右の堀は東の沢まで切通してある。
 
では堀写真。
 
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土橋右側
誰もいない山中に、圧巻。
 
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堀前二郭側にも土塁を設けているようである。
 
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沢の崖まで堀通してある。
この沢の崖からは攻め上れないであろう。
 
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東の崖端付近から
これを見た人は何人いるのだろうか。
 
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 土橋左の堀は、屈曲し伸びている。この堀は主郭背後まで通路として伸びているて、途中段差が設けられ、繰り引きながら敵を誘い込み、殺す意図であろうか。
後でじっくり辿ります。
まず正面の虎口から主郭内へ向かいます。
 
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二郭から主郭へ入る虎口
 枡形状であり、右側が張出し、横矢というか斜め矢を掛けている。この張出からの横矢の角度はしっくりこない角度で、越後の山城を歩く会の学習会でも疑問が呈されていた。
 
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主郭内、直方体内枡形形状に掘られていたかもしれない。
 
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主郭内から虎口を振り返る
 
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主郭張出部
二郭と同様、堀と通路・虎口に向かって土塁が設けられている。
 
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張出から主郭正面虎口前、土橋を見る
微妙な角度で土橋には斜め矢?が掛かる。
堀底通路への敵の侵入を見張ることはできる。
 
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赤坂城主郭
1500平方メートルほどの広さがある。
未完ゆえもあるだろうが、拠点城郭というより、道を塞ぐ城(関の強化版)のようにも思える。
その2で堀底通路普請とアクセス、おまけを紹介します。
 
 赤坂城修学・記事作成にあたり、鳴海忠夫さん、妙高市教育委員会佐藤慎さんより、懇切なるご教示をいただいた。
 
参考文献  鳴海忠夫「上越地方西部の山城」 
        遠藤公洋(2004)「戦国期越後上杉氏の城館と権力」
        『平成5年度 新井市遺跡確認調査報告書』編集・発行=妙高市教育委員会 1994年