茶臼山城2 | えいきの修学旅行(令和編)

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 2016.10.2に一部画像を入れ替え内容を修正しました。

 
 その2・3では、主要登城路を辿ってみます。
 イメージ 20再掲。
 主要登城路は、北から段差普請が施された堀イ底を通り、城門2に至る。次いで、主郭・二郭間を、城門2-1により構成された桝形とし、ここを抜けて三郭へ出、土橋で二郭へ上がり、城門1上木橋で主郭へ至る。二郭は馬出機能をもった戸張の可能性がある。このルートは、堀底に段差を設け、郭内土塁と相関した巧妙な仕掛けと高度な出入り口の工夫が施された近代的なルートである。
  堀イを伝い攻め上る敵に、堀底に段差を設け、城門2を構える。堀幅を変える地点に、A、五郭、二郭、主郭と重層に布陣し、待ち構えている。最奥には木橋の地点に城門1が塞ぎ、城門2-1間の枡形内で立往生する攻城兵は、側面頭上の二郭・主郭からの挟撃を受ける。極めて重厚かつ熾烈な迎撃を受けることになる。
 (遠藤 2004,pp65-6) (馬出・戸張の可能性に関しては私の見解)
        
主要登城路、林道登り口

イメージ 1

林道
ちょうど右に  南谷溜池入口刳り石トンネル 
という看板がある地点から左に登る。 
 
イメージ 2
この看板
 
イメージ 3
登り口 
たしかに登路っぽい。
 
イメージ 19
残雪の写真 
登城路だろう。
 
イメージ 4
堀イらしくなる。
堀の左が主郭側、右が二郭側。
左には、その1で辿ったA,五郭、主郭と重層的な迎撃陣地が待ち構える。
右は竪土塁が掘イに沿って築かれていて、横移動を制限している。
 
イメージ 5
堀イ右(西)竪土塁
 
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堀イ左(東)
土塁で守られたA、五郭、主郭が重層的に構えている。
 
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Aライン堀イ堀底の段差
 
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段差を境に、細くなり降り下る
 
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平くなった堀底から守備陣地を見る。土塁により、郭内は見えない。
寄せ手は身を晒しているが、守備兵は土塁で身を守られている。
射角も五郭、主郭両郭から絶妙…。
 
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五郭ライン付近から堀イ堀底 
主郭ラインにもう一段段差がある。 
段差ごとに守備ラインごとに段差が設けられ堀幅が変わるようだ。
三段目と四段目の段差に、城門2が想定される。
 
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堀底 主郭ライ
段差があり、堀幅が狭くなる。
突入速度が落ち、五郭、二郭、直上主郭北西隅から撃たれる。
この先堀底は、主郭、二郭から側面頭上挟撃を受ける枡形構造。
 
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先の堀幅が狭まる地点が城門1。
上に二郭ー主郭を繋ぐ橋が架かり、下を城門が塞いでいたであろう。
  先が塞がれた堀底で立往生する攻城は、 主郭、二郭の両側頭上から挟撃を受け、文字通り往生する堀底枡形である。 
 
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城門1
狭まり、食い違いもみせているようだ。
 ここが塞がれ、立往生する。
 
イメージ 9
城門1から堀底枡形キルゾーンを振り返る。
うっ、見事…。
折れは伴わないが両端城戸で塞がれた枡形構造。
 
イメージ 10
城門1を抜け、降ると三郭 
横堀状の区画に降りる。
 
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三郭 横堀状の区画
 右上に、南西ルート2を迎える虎口が見える。
 三郭は主要登城路、ルート2が集まり、二郭へ接続する郭。
 横堀状区画を左(東)に行くと主郭へ登る2本目の遊歩道がある。高い段差(低い切岸)があり、主郭へのルートではないであろう。
 主郭へは、右(西)に行くと二郭へ登る土橋があり、そこから二郭へ登り、木橋で主郭へ入ったようだ。
 
イメージ 23
概念図で確認。
  
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横堀を左(東)に進む
 
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 乗り越えられない高さの段差があり、その上に主郭への二本目の遊歩道があるが、昇降は無理であろう。主郭へは、横堀状区画を右(西)に行ったようだ。
 
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横堀状区画を右(図では左)へ行くと、二郭へあがる土橋がある。
三郭、二郭西は堀ウラインで、茶臼山城主要部西の防御線。
 
その3でルート2を辿り、二郭へ登ります。
ルート2は遠藤論文に記述がありません。
 
イメージ 18
茶臼山城主要部西端防御線 堀ウ