鞍骨城3 | えいきの修学旅行(令和編)

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主郭(南東から北をみる) 写真奥 川中島の眺望が広がる
  
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川中島・善光寺方向
  
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ズーム
 
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眼下 海津城 
 
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ズーム 
 
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主郭東には土塁があり、土塁伝いに東尾根に降りることができる。
  
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土塁伝いに東尾根におりる 
降りる土塁と主郭東切岸に守られるように、北の崖端に郭5がある。
  
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土塁と主郭東切岸に守られるような、北の崖端の郭5。
 郭5の東には横・縦に組み合わせた堀切が掘られ、その先東尾根は細尾根で険しい。
 宮坂先生は「本城で最も安全の所である」「水の手とする向きもあるが、家族等の居住区であろう」としている。越後的には米蔵だと思う。
 
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 郭5東、尾根には横と縦に組み合わさった堀切が掘られている。
 
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堀サ
 

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その先 尾根高地
東尾根は、らくだコブのようなアップダウンの鞍部を小さい堀切で切ってある。
 
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堀シ
 
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城域東端と思われる堀ス
細く険しいので小さい堀切で充分だろう。
では、主郭南虎口前面の馬出し状郭の下、元の大手と思われる南西尾根へ向かいます。
 

 
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馬だし南東下
郭6
天水溜がある
 
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天水溜
クーさんもお水を飲みに来そうである。
 
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郭6から主郭を見上げる
 
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郭6からは岩の間を縫うように降りていく
 
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なにやら巨石
遠藤先生は巨石信仰の可能性を指摘している。
 
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 巨石前 郭7
祭祀広場か。
また、ここから写真右(北)に、西斜面を横切り、その2で触れた堀トに繋がる道がでている。
 
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その下 郭8
ここが大手口になるようで、巨石遺跡とは違う、城遺構と思われる石積が見られる
 
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大手口石積
 
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大手口
清野氏は、武田に属す前(天文19年以前)は、坂城の村上氏のもと、村上氏代官九家の上位であった。
その時代、坂城側倉科(妻女山からの記事中地図参照ください)からのこのルートが大手であったのだろう。
随分険しいようだが。
 
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倉科から見上げる鞍骨城
 
容量が許しますので、郭8から登っていきます。
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郭7下 登路、なにやら霊験ありそうな造り
 
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郭7 霊験ありそうな石の配列
ここから西斜面を伝い、堀トに向かいます。
 
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西斜面を横切るルート
 
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頭上はこんな…
石でも落とされたら通過はできまい。
 
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井戸のような郭の上を掠め
 
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堀ト西側に入る
  
と、鞍骨城、完になります。
 
 かねて念願だった鞍骨城、馬念さんのおかげで訪城することができました。
 念願叶いました。馬念さん、ありがとうございました。
 クーさんが住まいのようですので独行は避けたほうがよさそうですが、行き甲斐のある城です。
 
 参考文献 宮坂武男『信濃の山城と館2』 
       『信濃の山城ベスト50を歩く』