鞍骨城と清野屋敷
鞍骨城は清野氏の要害と伝わる。
鞍骨城の北麓(海津城側)、現古峰神社周辺が清野氏館跡と伝わる。
(H25年投稿時、山まちがっていました。すみません。2019.2.18訂正。)
古峰神社
清野氏屋敷跡と伝わる
古峰神社はここhttp://yahoo.jp/J2ZydQ
先の記事、妻女山から53天城城・52鞍骨城へhttps://ameblo.jp/mei881246/entry-12496890445.html
からご覧ください。
二本松峠から歩くこと10分、おぉぉーっと遮断された堀アを降り、登ります。
登った尾根上から堀アを覗き込む
これは明瞭な意図をもって二本松峠を登り寄せる軍勢、妻女山・天城城方面から寄せる軍勢を遮断している。
尾根上
この先約160mに鉄塔
途中、尾根左側に堀イ
柵で城戸でもおいたのでしょうか。
やや登り、
鉄塔
鉄塔の背後は、すぐウ・エの凄い二重堀切
堀ウ
敷居
敷居から西側を見る
敷居から堀エ
いちおう遊歩道が乗り越えます。乗り越えた上は、郭12.。
堀エの堀底は、写真左から、海津城・清野屋敷の方向、清野からの道があがってきます。
また、写真右に抜け、回り込んで竪堀を郭12にあがったとする説もあります。
堀エ底に入ってくる清野方面からの道
清野氏が武田に属し、海津城の支持を仰ぐようになって以降は、海津城側へのこの清野ルートを大手としたのだろう。
郭12へあがります
堀エを振り返る
ウ・エの二重堀切、その前面のアの堀切は、二本松峠・天城城方向を警戒し、遮断する意図の、大勢力による普請であろう。川中島合戦期の武田の普請であろうか。
12郭
中央、奥(南)に向かい細長く一段高く11郭。
12郭は左右一段低く帯郭状に脇をはしる。
11・12郭は、兵を収容できる。
写真右手に堀エ底を抜け回り込んだルートを迎え入れたのでは、という説の竪堀タがあります。
竪堀タ
遠藤公洋は『信濃の山城ベスト50を歩く』上杉城郭に見られる逆四角錐台形虎口と推定している。
この竪堀に回り込む郭12北西コーナーには石積の痕跡も見られ、崩落からルートを守り維持する補強の可能性もあり、天正期、北信に進出した越後上杉による普請の可能性もある。
郭12北西コーナー斜面
石積の痕跡がある
郭11・12を奥へ
途中、何本か竪堀がある
竪堀ツ
竪土塁を伴う竪堀テ
西 帯郭がはしる
数段あがり、馬念さんが立つのが郭10
その背後堀ト、切岸上がいよいよ主要部 郭4
その1はここまで。
参考文献 宮坂武男『信濃の山城と館2』
『信濃の山城ベスト50を歩く』