妻女山から53天城城・52鞍骨城へ | えいきの修学旅行(令和編)

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海津城の後背、いわゆる川中島の戦い啄木鳥戦法の舞台
 
物語か史実はともかく、壮大な戦国ロマンの舞台であり、晴信、政虎の魂を感じるエリアではある。
天城城を鞍骨城の支城とする説もあるようですが、如何でしょうか。
妻女山から馬念さんと鞍骨城を目指しました。
 
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妻女山
政虎布陣は、もう少し奥の方とする説がある。もっとも妻女山布陣はなかったとする説もある。
なかったとすれば善光寺とその後背の山城群を固めたであろう。
 
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妻女山奥駐車場からスタート!
 
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スタート地点から徒歩23分地点
ここまでは林道を山用の車で、腕があればこれるようです。
 
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上の写真から11分地点
登山道が分岐します。左上に進みます。
 
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歩きにくい地点はありませんが、尾根両側は急崖で、攻め寄せることはできません。
左尾根上、古墳のような石遺構がありました。
 
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天城城手前に到着 天城城の北尾根です。
登山道、天城城に登らず左にまわるコースもありますが、直進登ると天城城です。
スタート地点から52分。
 
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右側に竪堀のような抉りがありますが、西尾根からの回り込み封じでしょうか。
 
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山頂が天城城主郭
 天城城は北(妻女山)、西(唐崎山城)、南(鷲尾城)、南東(二本松峠・鞍骨城)と尾根伝いに交通できる要衝です。
 
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主郭北下の郭
左上が主郭
右 西の唐崎山城方向に郭がある
 
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西の郭 というか削平地
 
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郭下には堀切がある
唐崎城方向の西尾根は、郭、堀切を構えている。
 
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主郭へ
 
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天城城主郭
別段、造作はない
 
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主郭には古墳の石室がある
 
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南(鞍骨城、鷲尾城方向)に降ります
 
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南 二郭への降り際、竪堀が左右に走る
右の竪堀
 
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左の竪堀
 
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二郭ともう一段小郭
 
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二郭背後主郭側
石を利用した切岸となっていて、他の方角より厳しい
 
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二郭、小郭下には堀切がある
 
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この堀切、なかなかしっかり掘ってある。当時、鋭ければ普請遮断効果はあったであろう。
天城城は、二本松峠・鞍骨城方向、鷲尾城方向を警戒した普請がされていると私には思える。
越軍が妻女山に布陣したとすれば天城城が鞍骨城に対する前線になったと思う。
鞍骨城の支城というより、越軍の陣城普請ではないだろうか。
 
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その下、 尾根
 
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尾根 南方には高地
鷲尾城ルートを見張る高地か
宮坂図にはその下に竪堀が記載されているがわからなかった
高地手前に低いコの字土塁で囲われた一画がある。
 
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コの字土塁で囲われた一画
水場であろうか。
 
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その周辺、獣が乱舞したような跡
水に集まり、集会でもしているのであろうか。
長野市に暗視カメラを設置して貰いたいものだ。
 
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二本松峠・鞍骨城へ続く尾根
尾根は細く、両側は崖
 背後から妻女山を攻撃するには、この急崖細尾根を天城城高地に向かって攻めることになる。大軍で襲い掛かることはできない。そして天城城には、堀切、二郭、両竪堀で狭められたルートで主郭に至る普請がされている。
               
↓Googleマップに記入引用
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越軍の妻女山布陣はあったのではないろうか。
 政虎は晴信への野戦痛撃を望んでいたであろうし、千曲川をこえなければ従来のように晴信は出てこない可能性もある。
 海津城・千曲川・犀川を背後に布陣することにより、晴信を引き出し、地蔵峠もしくは坂城方向(葛尾城のほう)から出で来る晴信本軍を待ち構えたのではないだろうか。
 (信長死後の天正の北条との対戦では、海津城は越後方が抑えていたため、北条は善光寺平には出なかった。)
 
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二本松峠見えてきました。
天城城主郭から23分。
 
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二本松峠
左、清野方向
右、倉科方向を繋ぐ峠
物語の啄木鳥戦法では、妻女山襲撃軍は、ここから妻女山背後に向かう。
無理であろう。
 
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二本松峠を越えると鞍骨城へ誘う標柱がある。
 
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、二本松峠から10分、今までとはスケールが違う、遮る堀!
 
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おぉぉー
 
鞍骨城へ続きます
 
参考文献 宮坂武男著 信濃の山城と館2