162藤沢城(伊那市高遠藤沢御堂垣外) | えいきの修学旅行(令和編)

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藤沢城
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 高遠の的場城から、藤沢川に沿って杖突街道を諏訪方面へ進み、ほぼ高遠と諏訪の中間地点、杖突峠を越え諏訪へ出る道と、金沢峠を越え諏訪へ出る道が分岐する地点に藤沢城はある。
 藤沢氏が諏訪の社領として藤沢庄を支配したようであるが、武田が諏訪を滅ぼし高遠を屈服させると、代官保科氏が翌天文15年(1546)には武田直参となり、天文18年にはここに住した。
 藤沢城は、武田の諏訪と高遠を繋ぐ拠点として、保科氏によって築かれ機能したものと思われる。
 
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国道152号線杖突街道に藤沢城への登り口入口看板がある。
 
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藤沢川を渡り
 
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山裾に取り付き、搦め手から登ります。
 
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すぐ、石の地点、城戸?
 
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東面、なかなかな急斜面
裾には藤沢川 要害である。
 
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道はしっかりあり、看板が立ちますので歩きやすいです。
尾根上が搦手。
 
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尾根上 左(南) 搦手となる堀切オ
堀切名、郭名は宮坂武男著 信濃の山城と館5に準拠します。
登り口からここまで、私の足で10分。
 
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堀切オの上 数段になんとなく削平されている
南北尾根上に郭を配し、構えられている。
 
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搦手 堀切オを振り返る
写真、見えにくい…。
撮影時画素数が高すぎるのであろうか。
 
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主要部に向います。
 
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木が立つのが主郭
概ね三段の削平地が、堀切、土橋とS状に繋ぎ、構えられている。
 
土塁を越え
 
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平場
上幅7mの堀切エと土橋
 
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S状に上がる
 
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上がった平場
 
いま上がってきた、下の堀切エ・土橋・平場を見る
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小気味いい
 
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幅中3m堀切ウを渡る土橋
 
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右手 藪だが、主郭北下にはもう一段小郭がある。
 
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主郭へは東から入る
 
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藤沢城主郭へ
 
その2へ続きます。
 
参考文献 宮坂武男著 信濃の山城と館5
       現地説明版