護摩堂城その2 | えいきの修学旅行(令和編)

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主郭南方直下の箱掘り(箱掘りとはいえないかもしれない2020.1追記
土塁があり、二重堀切
 
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尾根伝い南西約50mにもう一本箱掘
城内側に土塁を伴う
 
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城内側に土塁
土塁に拠って、鉄砲を放ったか。(ただの畝状空堀だろう2020.1追記)
主郭へ向かいます。
 
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南方直下箱掘りから主郭
 
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主郭南虎口入ったところ
 
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護摩堂城主郭東部
土塁が立ち、北東隅は櫓台となっている。櫓台脇に、二郭・蔵屋敷、三郭・新津曲輪へと続く北虎口がある。
 
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土塁裏、主郭東面は急崖で、普請は要しない
 
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主郭からの西眺望
越後の枢軸にあり、素晴らしい
 
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櫓台は、北虎口先の道を監視する
 
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主郭北東直下小郭
 
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二郭となる蔵屋敷
米蔵であろうか。
 
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三郭となる新津曲輪
アジサイが栽培されている。
 
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新津曲輪北東端から、菅出・菅名庄方面への道がある
平賀氏は菅名庄にも所領を持っており、護摩堂城は越後の枢軸に、東西に機能的に聳えていたようだ。
 
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新津曲輪
あじさいがなどが売られている茶屋がある。
 
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お店の先(西)
新津曲輪は西に細長く、二段になっていて、下段への降りる虎口が左にある。
 
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新津曲輪下段
この先端近くに桝形虎口がある
 
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桝形虎口 逆四角錐台形か。
雷城と同時期に普請されたのであろうか。
で、その1で紹介した天正14年2月6日、景勝は、ごまたう に普請を命じた文書。
「今度三ヶ所之寄居・門・道具、誰領分成共可令剪用候、-後略」(上越市史別編3083)
 
 寄居、門はわかる。で、それらと並ぶ、道具ってなんだろう?。普請用の鋤鍬(すき、くわ)なら、寄居・門と並ばないような気がする。こういう桝形などの防御遺構のことを指すのか?または、なにか防御兵器のことを指すのであろうか。越後の山城を歩く会の学習会で質問させていただいたが、答えを得なかった。基本過ぎる質問だったのであろうか…。
 
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遊歩道は桝形からではなく、新津曲輪西端から馬場に降りる。
 この遊歩道、ひょっとしたら出撃路かもしれない。
雷城と同じく、迎え撃つ枡形虎口と、みえない位置からの出撃口という運用かも(8/17追記)。
 
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馬場から新津曲輪桝形を見上げる
 
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最後に石切り場
 護摩堂城は護摩堂石の産地であり、越後上杉の城では珍しい、石積を用いた遺構を造ることができたのであろう。
 
参考文献 鳴海忠夫[南蒲田上町護摩堂城跡について]