城生城(富山市八尾町城生) | えいきの修学旅行(令和編)

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神通川が洗う城生城
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 東は神通川、西は土川の断崖に守られた要害で、斎藤氏の居城とされる。斎藤氏は、天嶮に拠り、天文12年神保氏に対し籠城、天正9年に佐々成政に対し籠城戦を行う。一向宗の助力も得たようで、頑強に抵抗するが、天正11年6~7月に落城。後、佐々の重臣佐々与左衛門、前田の重臣青山佐渡守が入ったと伝わる。遺構は、佐々、前田によって織豊の構想をもって改修されたものと思われる。 越中と飛騨を繋ぐ地理にあり、城生城を落とした佐々は、飛騨へ奥深く進攻したようだ。(高岡徹 佐々成政の飛騨高原郷進攻について)
 
現地説明版に佐伯哲也著越中中世城郭図面集に準拠し加筆
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東は神通川、西は土川、北は神通川と土川の合流点と天嶮であり、普請は南に向かい厳重に施されている。
 見学路は西から入りますが、説明の都合上、その1では桃○大横堀の南を南端から辿ります。
 
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南端、土取りで失われている。
が、大丈夫。先端以外、見事に残る。
  
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南の大手口土橋から南端
  
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大手土橋を横堀④内からみる
  
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大手土橋を城内へ
 
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櫓台⑥にあたり、左に折れE郭へ
  
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右に折れ、虎口⑤
入ると、G郭が高く立ちはだかり、左に折れ虎口⑧に入る
 
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F郭への出入り口虎口⑧
この屈曲間、G郭、虎口⑧奥のF郭から矢・鉄砲が集中する
 
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F郭内は高いG郭から横矢が掛かる
 
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F郭は殲滅郭であろう
 
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 ここからG郭へ伝い上がることができ、G郭から背後大堀切に降り神通川側東面を伝い本城域B郭A郭へと入ることができる。あとで行きます。
  ここを伝い、上がらず北に進むと
 
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大横堀⑩が遮る
大横堀の向こうには、本城域となるB郭・A郭が高く待ち構える。
佐伯先生は、土塁⑰からA郭に橋を架けて城兵用ルートとしたと推定している。
もろにB郭から横矢が掛かる。
 
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右(東)
 
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高く聳えるA郭
 
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A郭への橋が架かっていた可能性のある土塁⑰
 
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大横堀⑩西端
西からの見学路はここに入る。
 
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西から
先ほどのG郭へ伝い上がるルートからG郭へあがり、東面を伝い、本城域B郭・A郭へ向かいます。
 
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G郭うえ
城内側に向かって枡形?のように掘られたところがあり、ここから大横堀⑩に降りたようです。
 
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大横堀に降りたところ
東に廻り込むようにルートが続く
 
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神通川の断崖側、東面伝いルート
断崖にさらに竪堀が掘られ厳重に警戒されている。
その2へ。
 
参考文献 佐伯哲也著 越中中世城郭図面集Ⅰ 高岡徹 佐々成政の飛騨高原郷進攻について