![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/52/52/j/o0314016514510057292.jpg?caw=800)
その2では、畝型阻塞群に制限された主郭A郭切岸したを南に進み、⑥城戸から城内へ入ります。
南のC郭をみて、主郭A郭へ迫ります。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/83/c2/j/o0314023514510057301.jpg?caw=800)
A郭東切岸下コーナーを抜けると、畝型阻塞群が顕れます。攻城兵は移動を制限されます。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/c8/16/j/o0448033614510057307.jpg?caw=800)
左側に櫛の歯状に敷設された畝型阻塞群
斜面ではなく、切岸下平面もしくは緩斜面に設けるのは越後的普請で、越中に進出した越後上杉による普請をおもわせる。
畝型阻塞群の端はB郭東面切岸になるのも、大場沢城と同様の構想に思える。隆起度は違うが。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/9a/9f/j/o0448033614510057316.jpg?caw=800)
つづく
右頭上A郭から撃たれる。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/69/ae/j/o0448033614510057324.jpg?caw=800)
アップ
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/9c/df/j/o0314023514510057330.jpg?caw=800)
畝型阻塞群を抜けると、正面に櫓台状の高地、右に折れ⑥城戸がある。
B郭虎口を突破し、畝型阻塞群に制限されたA郭切岸下を、A郭頭上から撃たれながらここまで侵入するのは、かなり困難であると思う。
⑥城戸入り、右がA郭方向。左がC郭方向。先に南の尾根C郭を辿ります。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/31/1b/j/o0314023514510057337.jpg?caw=800)
南の尾根C郭方向
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/7f/cf/j/o0314023514510057344.jpg?caw=800)
C郭
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/2d/f7/j/o0314023514510057349.jpg?caw=800)
C郭南端
城戸があったであろうが、土塁と段差がある程度で、厳重な防備というほどの備えではない。
こちらからは敵は来ないという考えのようだ。
⑥城戸に戻り、A郭へ向かいます。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/17/bd/j/o0448033614510057357.jpg?caw=800)
A郭南下部郭
両脇二本の土橋からA郭へあがったようだ。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/ef/46/j/o0448033614510057363.jpg?caw=800)
井田主馬ヶ城主郭A郭
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/70/54/j/o0448033614510057369.jpg?caw=800)
A郭から南下部郭をみる
両端二本の土橋が桝形をつくっているようにも見える。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/57/f6/j/o0314023514510057377.jpg?caw=800)
A郭その1で紹介した北の⑤城戸方向
西側は一段低く郭がとりまくが、その西は急斜面(馬念さんと行く急斜面よりは随分緩い)となるため防備は見られない。
井田主馬ヶ城、小さいですが切岸防御面と虎口から城戸へのルート設定がされ、巧い虎口・畝型阻塞・両端土橋などの遺構がよく残ります。
参考文献 佐伯哲也著越中中世城郭図面集Ⅰ 現地説明版