百地丹波守城その1(三重県伊賀市喰代) | えいきの修学旅行(令和編)

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 三国地志に百地丹波堡とあり、喰代(ほうじろ)もも地殿と名がみえるらしい。信長の野望では伊賀は百地丹波だったはず。信濃や越後の城館とは一味違う雰囲気が濃厚に漂う、伊賀忍者が集いそうな城である。
さっこんの歴史・忍者ブームで、どれ程混雑しているかと思いつつ訪ねだが、大きなかえるが潜み待ち構える他、人は一人もいなかった。
 
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 青雲寺と墓地が居館、南東に主郭という伊賀地方の館城であったのを、織田信長の侵攻に備えてⅢ郭、Ⅳ郭と拡張したようだ。
 
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青雲寺(左)と墓地の間に切通し道
 
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抜けると丸形池
 
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右 墓地 百地姓のお墓もある
この墓地と青雲寺が居館区域と思われる。
 
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青雲寺
 
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小高い山がある
物見台か、主郭への架け橋台か
 
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丸形池にあたり左へ
左が青雲寺 右が丸形池
 
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居館南東下 車道を挟み、
右が丸形池 左に空堀
 
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丸形池 いい水掘り 大きなかえるが不気味に潜む 警備する忍者の化身のように思えた。
 
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主郭方向
高地うえが主郭
右に空堀
車道は居館青雲寺と間を切通している。
 
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主郭南面した
この通路前面は空堀
 
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主郭南空堀
 
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左に折れ主郭南虎口
なかなか見事な城門
 
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 虎口はいると東部(右)は、4m程の高い土塁に三方を囲われた一郭、西部(左)に東西50m、南北24mの広い郭が広がる。
 
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4m程の高い土塁に三方を囲われた東部
奥に北虎口
右に東の堀切Cにでる切り口もある。
 
その2でもう少し。
 
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百地丹波守城の碑と説明版
奥は主郭西部
容量が満ちました。
その2へ。
 
参考文献「三重の山城ベスト50を歩く」「現地説明版」