春日山城大手口1(景勝口) | えいきの修学旅行(令和編)

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 本記事は平成27年8月12日にリニューアルしました。
 リニューアルにあたり、佐藤春雄さんより柿崎郭へ至るルート・虎口の教示をいただき、平成27年3月撮影の写真を加え掲載してあります。5月と3月の写真が混ざり、見難いところもございますが、容赦下さい。
 
 ↓現地設置国指定史跡春日山城めぐりから引用加筆
イメージ 55大手口から南三の丸ー柿崎郭まで辿ります。
長尾時代は、山の東麓愛宕谷を根小屋とし、山上を要害として構え、愛宕口黒金門https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496880700.html

が大手であったと思います。

景虎が山内上杉氏を継ぎ、家格をあげ求心力を高めると、山上を居城として整備拡張し、居住スペース、諸将の城内屋敷地を設ける必要が生じ、整備拡張していったのが、このエリアと考えます。現、標柱や説明版では愛宕口から千貫門を経て山上へ向かうルートを搦手口、春日山下からの車道から左に入り、南三郭に丸を経て山上へ向かうルートを大手口としています。
 
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春日山下からの車道から左にはいる大手道
  
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谷の中ほどに番所とされる高まりがあります。
谷への進入を防ぐ防御線という遺構ではありません。
この先遊歩道で南三の丸へ入れますが、銅像前を左に進み、三の丸下を抜け南三の丸へ、もしくは山上から背後へ降りるように南三の丸へ行かれた方が便利かと思います。
  
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銅像前を左上に進み
  三の丸下を通り過ぎ、ちょうど景虎郭下あたりにも駐車スペースがあります。混雑していなければ車をおけます。その先も林道が続いていますが、倒木がおしている箇所もあり、車の進入はやめたほうがいいです。
   
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林道右脇、南三の丸北境に泥田堀アがあります。私が春日山城内で最も好きなところ。
  
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南三の丸北境 泥田堀ア
 
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三月中旬の写真
泥田上方は段差普請。
 
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 林道は南三の丸のほぼ真ん中を東西に抜け、正善寺集落に続きます。
正善寺集落は習禅寺村として、御館の乱の最中に景勝から濫妨狼藉人取停止の制札(上越市史別編1571)を受けている。 
 
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林道左 南三の丸南部
 大手道が入る 
 
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南三の丸へはいる大手道 
厳重な関門とはなっていない。
 
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大手道入った付近から南三の丸城内方向をみる
平井上総が中近世移行期の地域権力と兵農分離のなかで説く「城下屋敷は国人にとって不可欠な政治的・経済的拠点であり、大名城下が求心力を持つ状況」の越後での顕れがこの区域であろう。
諸将の屋敷として、謙信後期から景勝期に拡張整備された区域と思われ、城内ではあるが厳重に守られた城郭内という区域ではないようだ。ここまでは、諸将、諸将の被官もわりと自由に出入り往来できる区域であったであろうと私は思う。
 
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左右には(右が広い)屋敷と思われる区域のなかを、南三の丸北部を城内へ向かう。
  
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道は土塁壁を切通すが、農道として切通した可能性もある。
 土塁壁前右(東)には、先の泥田堀上端がエグく回り込む(後ほど)。
 ここから急に普請が厳しくなり、武門上杉の武威が漂い始める。
 土塁壁の向こうには箱状の大堀イ。
 佐藤さんは、南三の丸からのルートを、この土塁壁上の右(北東)から大堀イを架橋で渡り、柿崎郭南東の帯郭を通り柿崎郭南東虎口から入るとしている。(佐藤ルート)(後で)
  
まずは切通を抜けましょう。
   
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切通しをぬけると大堀イで、以前私が大手城門とした切り口(以下A切り口)、右に張り出した柿崎郭と、切通し抜けた土塁に囲まれた枡形様の堀底空間にでる。
 城外側に土塁、内側に大堀となる。なぜか。
 
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以前私が勝手に大手城門と名付けたA切り口 
A切り口内は柿崎郭。
城内には、柿崎郭、景勝郭、直江郭等の郭があるが、そこに柿崎や景勝が居たという裏付けはなく、また本丸、二の丸、三の丸も当時の実城、二の郭、三の郭に該当するかはわからない。巡りやすいように郭名は現呼称をそのまま使用します。
  A切り口前の大堀イは左(西)に越中方面、城ヶ峰砦を経て桑取谷に出る桑取道へづづく。
              右(東)は張り出した柿崎郭と土塁壁との間を険しいが東から土塁壁前にまわる堀底道として通していた可能性もある。東端で断絶であれば、この堀に入り込んだ敵は、城内に入ることはできず殲滅される。
 まずは西A切り口前を左(西)越中方面、城ヶ峰砦を経て桑取谷に出る桑取道方向へ行きましょう。
 桑取道側には堀切が三本配されています。城外がわの二本は箱掘。
   
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A切り口前から西
 
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桑取道へは城壁下を通る
 
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一本目の堀切
堀底を通り、途中で左に出る。その先約30mに二本目の堀切。
途中から右に出ると、柿崎郭と景勝郭の間の水堀脇に至る、そちらもルートであったようだ。
 
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二本目の堀は箱堀
越中方面には箱堀を配している。謙信後期から景勝期の強化改修を思わせる。
この先約120mで三本目の堀
 
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三本目の堀手前土塁
三本目の堀は、城内側に土塁を備え、道は堀前土塁に沿って折れ、堀中を土塁下を通り、左端から堀を渡り城外へ抜ける。土塁左端隅は櫓台状で櫓が揚っていたかもしれない。
土塁に寄り西から寄せる敵を敵を迎え撃つことができる。
 
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堀端
段差普請がされている。
 
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春日山城西端となる、三本目の堀 
箱堀で、道は土塁下を通り左端で渡っている。
 この箱掘・土塁は、春日山城の西の防衛線で、越中から寄せる織田勢に対し強化改修された普請と考える。
 西から春日山に至った敵は、三重からなる箱堀、堀切線を突破し、城壁下を通り、A切り口前に至ることになる。そして大箱堀イ底を東へ進むことになる。別に柿崎郭と景勝郭の間北東に至るルートもある。大手口2で辿ります。
 
 A切り口前に戻ります。

 
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A切り口前(左にA切り口)
正面に柿崎郭が張出し、寄せては銃弾を浴びる。
A切り口が改変であれば、斜め右上に大堀イ底を進むことになる。
 
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左にA切り口
一段低い郭に上がり、ここもルートに思えないこともない。
これが出入り口なら柿崎郭の張出しが有効に横矢を掛ける。
 
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柿崎郭張出監視下、大堀イ底を東へ
堀の外に土塁壁という構造は、この堀底を通路に限定し、敵を容れる構想のものであろうか。東端、断絶であれば、この堀に入った敵は城内には入れないことになる。堀底で頭上から攻囲され、殲滅される。
 
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大堀イ東 佐藤ルートはここを架橋し渡る。
 
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険しいが東端から土塁壁前にまわってみる。
 
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東端
ここで堀底断絶かもしれないし、土塁壁前にまわり出るルートであったかもしれない。
 
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土塁壁前の郭
南三の丸北部に戻ってきました。
 
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その前面には先の泥田堀ア上端が段差普請を伴いエグく巡りこんでいる。
 
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エグっ
 
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この泥田堀ア、あまり注目されてないが、春日山城の主城域を区切る南の防衛線で、春日山城の最大の見どろだと思う。
 
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南三の丸北部の郭は段差で区画されている。区画には接続がみられる。
 
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土塁壁上にはもっと南から上がり、通路としていたと思うが、切通し縁からよじ登ります。
 
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土塁壁上(藪)
 
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土塁壁上から、佐藤さんが大堀イを架橋し渡ると推定する地点
ここからが佐藤ルートの紹介。
確かに高さが揃っている。
 
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大堀イ底
さきに通路として通りました。
 
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対岸
佐藤さんの絶妙な推定に、胸がすく。
 
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対岸に渡りました。
推定通り、通路であろう。
 
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左は高地で監視されている。
 
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右…
突き落とされたら…。
南三の丸までは厳しさを感じないが、やはり春日山城、武門上杉の城である。
 
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通路さきに、やや右折れし、左折れ、柿崎郭虎口
 
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この虎口、佐藤さんに教えてもらうまで、知りませんでした。
虎口前、崖が設定されている…。
 
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虎口前
崖ってる。
 
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虎口前通路は、柿崎郭東下の郭群に、明確ではないが接続しているようだ。
 
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柿崎郭東下郭群へは、接続せず、途絶かもしれない。

        では虎口入りましょう。
 
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諸将が出入りした虎口か
奥に天守のように景勝郭南西隅が聳える。
 
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柿崎郭
景勝郭南隅が睥睨する。
注:柿崎郭などと命名されているが、伝承や史料があるわけでなく、誰かの思惑による命名に過ぎない。上越地域にはこういったことが横行している。
 
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郭内から虎口
 
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東下の郭群
 

              切り口Aからも柿崎郭へ入ってきましょう。
 
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高低差を設け区画された郭がある
右折れ
 
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イメージ 53左折れ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 54柿崎郭
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柿崎郭から先、景勝郭へは、大手口2で(こちらもリニューアル中)。
  
 
 
参考文献 大家健(1998)『図説中世の越後』、野島出版
       現地設置リーフレット 
 歴史学研究会2013年度大会中世史部会 平井上総 講演 中近世移行期の地域権力と兵農分離
 柿崎郭虎口へのルートは佐藤春雄さんより教示をいただいた。