天王山砦(岐阜県恵那市武並町藤) | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 2019.1.5 宮坂武男『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』に基づき、導線に関する記述を修正、その横堀北端から堀下げとの接合部に枡形+石積城門を推定、加筆・補足しました。2013年の私の目は、節穴でした。いずれあらためて全編書き直したいと考えていますが、取り急ぎ上記のみ直しました。
         
天王山砦
イメージ 17
木曽川の渡河点を抑え、武田の東濃拠点岩村城の前線支城として築かれ機能したものと思われる。
  
イメージ 4
国道418号、木曽川から恵那方面に600mほどの地点に左に入る林道があり、そこを入ります。
150m程で、下の写真背後からの登り口があります。
林道入口はここhttp://yahoo.jp/Rx0oxn
  
イメージ 3
登り口 
案内も縄張図もなく、五感を働かせ、探りあてました。あたりでした。
  
イメージ 5
 7分も登ると天王山砦のある山の東の尾根伝い鞍部に近づきます。
右が鞍部、左に登ると天王山砦主郭。
 この鞍部には堀が設けられ、東尾根を遮断しつつ、導線となっています。
  
イメージ 23
  図うえには、木曽川が巡ります。郭は山上主郭単郭で、東南の尾根伝いは鞍部に堀切を、そのうえ、主郭下には横堀と土塁設けています。南西にも横堀と土塁、その下斜面(登り口方向)には放射状に竪堀を堀り、侵攻にそなえています。また主郭のその南西には二か所の張出を設け、横堀に横矢、竪堀で動きが横移動が制限され縦列に登りくる敵を睨んでいます。
 
 導線は宮坂先生の記述によると、東鞍部の堀切を南から北へ抜け、主郭東下の横堀北端の堀下げから横堀通路に入ります。堀下げから横堀に入る箇所には両脇に石組の補強がされ、横堀との区切りには枡形状の空間が設けられています。
横堀を南、西へ進み、主郭西下帯郭から主郭へと至ります。 
 
イメージ 39
東鞍部の堀
 
イメージ 28
北端から北斜面を回り込む
 
イメージ 29
北斜面導線
 
イメージ 30
竪堀掘り下げ下端から横堀線へ上がる
上部には両脇に石積が造作され、頑強な関門となっている。
 
イメージ 31
両脇石組みの城門
 
イメージ 32
東側石積(私は積んでいると判断した)
 
イメージ 33
西側石積
 
イメージ 34
石積関門入ると、土塁状の仕切りが横堀と区切り、枡形様の空間を造作している。
右の北斜面も、竪堀が敷設され、土塁状に回り込みを阻する。
 
イメージ 35
斜面への回り込みを阻止する土塁(竪堀の盛り)
 
イメージ 36
北斜面土塁上から枡形空間を俯瞰 
 
イメージ 38
主郭東南下から東横堀線 
 
イメージ 37
主郭南西下横堀、土塁
土塁下斜面には竪堀群 
写真左下は、関門を狭める一本目の竪堀上部
 
イメージ 1
土塁上から竪堀
  
イメージ 2
 西コーナー近くの一本 
 
イメージ 10
 横堀を西に
向かいます
主郭から二か所張出しているのがわかりますか?
この面、竪堀群、土塁、横堀、2か所の張出と、かなり強固な構えです。 
 
イメージ 11
ひとつめの張出部を過ぎて振り返る 
 岐阜県中世城館跡報告書では、張出としていません。 
 
イメージ 12
二つ目の張出部 
 二つ目の張出部の先が南西のナーナー  岐阜県中世城館跡報告書では、張出が睨む南西コーナーに、城外に連絡する虎口の可能性を指摘している。
  

イメージ 13

この張出を回り過ぎることなどできるであろうか 
 
イメージ 6
張出部を廻り過ぎ、折れ戻るように主郭へあがる
 主郭へは後ほど、先に西下帯郭、北西コーナーへ。
 
イメージ 18
コーナー先、竪堀で抉られている
 
イメージ 14
主郭西下
こちらは横堀ではなく、帯郭となっている。
 
イメージ 19
北西コーナー
 
イメージ 20
北西コーナーした尾根
堀切と岩の塁
 
イメージ 21
岩の塁うえから尾根下 この尾根は方向的には橋の袂にむかっている。
木曽川の渡し場につながっていたかもしれない。故に主郭西下は横堀ではなく帯郭なのか。
 
イメージ 22
西の帯郭を張出のある西コーナーへ戻り、主郭へあがります。
 
イメージ 7
張出部を経て左に主郭
  
イメージ 8
主郭
 
イメージ 9
主郭には祠がある 
 
イメージ 25
天水溜にも思える穴が二か所
 
イメージ 26
木曽川がわ、北斜面
東側には、東の横堀の仕切土塁先の竪堀に並んで、竪堀の痕跡が二本
 
イメージ 15
ひとつめの張出うえから横堀 ふたつめの張出方向
 
イメージ 27
ふたつめの張出うえ
(南西コーナーから主郭へあがる際に経由した張出)
 
イメージ 24
  張出うえから西コーナー手前(南西)
岐阜県中世城館跡報告書では、虎口の可能性を指摘している。
 
イメージ 16
張出うえから横堀 ひとつめの張出方向
横堀内を、 しっかり撃てる。
 
 武田を感じる、なかなかいい遺構です。武田勢力が、織田の本国美濃に、じわり食い込んでいたことが実感できます。信長の心中、如何に。
 
参考文献 岐阜の山城ベスト50を歩くの刈安城の項
       岐阜県中世城館跡報告書 
 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p.77
 
5月22日、6月3日、2019.1.5一部訂正と追記