記事構成としては、その4ではなく、その3-2として続けます。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/25/ec/j/o0314023014510052808.jpg?caw=800)
城の南は地形に合わせ三筋の構えをみせます。東ラインは、独立峰金戸山(未踏)。中央ラインは一段高く荒町と伝わるH郭、越中へ向かう山街道沿いにホンマチ、その先、尾根の萎まった先K郭直下を回り込む大手口。西ラインはコブ山のサイダ屋敷、野崎屋敷。
〇東ラインは、その3で辿りました。
3-2では、中央ラインと西ラインを辿ります。
〇中央ラインはH郭とサイダ屋敷に抱かれるようにホンマチがあり、ホンマチの先に越中へ向かう大手口があります。大手口はK郭切岸直下を回り込み掘割道様に城外へ出る地点で、道には折れに伴い堀切が刻まれ、厳重に普請されています。
〇西ライン、野崎屋敷南は野崎屋敷の鋭い切岸下に、大堀切、畝状空堀群を配し、この方面からの敵を取り付かせません。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/11/13/j/o0314021014510052814.jpg?caw=800)
中門を基点に南、山街道越中方面
街道脇にホンマチが、左の高地H郭、右の高地サイダ屋敷に抱かれるようにある。
武士、商人、職人等の居住地であろうか。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/d0/02/j/o0314021014510052821.jpg?caw=800)
右手 サイダ屋敷
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/f2/42/j/o0314021014510052826.jpg?caw=800)
サイダ屋敷うえ
29m×56mきれいに削平されている。
西ラインは、この写真奥、サイダ屋敷のコブ下低地を隔てて、もう一つのコブ山野崎屋敷がある。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/f1/c9/j/o0314021014510052832.jpg?caw=800)
サイダ屋敷下の削平段
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/c3/51/j/o0314021014510052839.jpg?caw=800)
H郭先端の一段下
カンジャ屋敷と伝わる郭
氷見の山城では、鍛冶屋屋敷として鍛冶職人居住区域を推定している。
ホンマチ南端先は、中央ラインの尾根筋は窄むように細くなる
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/3e/08/j/o0448029914510052849.jpg?caw=800)
萎まった左先に、大手口を守るK郭
城内側には防備はない
山街道はK郭の右をくだり、K郭南の鋭く高い切岸下を左(東)に折れ、右に切り通しを抜け森寺集落へと繋がる。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/59/d4/j/o0448029914510052853.jpg?caw=800)
K郭(20×35m)
山街道はこのK郭下をカギ型に頭上監視されながら通る
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/d3/64/j/o0448029914510052858.jpg?caw=800)
K郭南切岸直下の大手口
この写真では、よくわかりませんが、鋭く高い切岸
直下をわかっていただけたら。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/1c/2e/j/o0448029914510052865.jpg?caw=800)
K郭右(西)したを下っていく山街道
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/79/bc/j/o0448029914510052882.jpg?caw=800)
K郭南端下にそって左に曲がります。
この右手に野崎屋敷へ遊歩道が続きますが、竪堀二本掘られています。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/09/78/j/o0251016714510052889.jpg?caw=800)
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/5e/a5/j/o0251016714510052892.jpg?caw=800)
竪堀
20(左)
竪堀
21(右)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/fc/3b/j/o0448029914510052901.jpg?caw=800)
K郭直下をぐーっと曲がり
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/ba/e0/j/o0448029914510052910.jpg?caw=800)
さらに谷前で右にカギ曲がり、切通しを抜けて城外へ山街道は抜ける。
ここが大手口
谷に向かい二連の竪堀
左はK郭南切岸
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/d2/94/j/o0448029914510052914.jpg?caw=800)
大手口からみるK郭南切岸
鋭く高く、とてもこれは登れない。
大手口、切通しを抜けて大手口に入り、右は二連の堀切で谷。正面はK郭南切岸にぶち当たり、直下を左に折れ、さらにK郭西面に沿って右に折れ登りる。その間、K郭からの頭上・横矢迎撃に晒される。この大手口を突破することは困難である。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/60/aa/j/o0448029914510052923.jpg?caw=800)
二連の竪堀
18(左)、19(右)
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/02/c9/j/o0314021014510052926.jpg?caw=800)
この竪堀は、東の谷まで落ちている
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/c9/79/j/o0314021014510052931.jpg?caw=800)
道は切通し
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/c7/d5/j/o0314021014510052938.jpg?caw=800)
城外森寺集落へ
右手に踏段堂とよばれる一郭がある
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/65/07/j/o0314021014510052942.jpg?caw=800)
踏段堂
では西ラインの先端、野崎屋敷へ
ここがまたいい!
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/ef/71/j/o0448029914510052949.jpg?caw=800)
西ラインは、サイダ屋敷の南低地を隔てて、もう一つコブ山がります。そこが野崎屋敷といわれる郭で、西ライン先端にあり、この筋からの侵入を遮断しています。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/3d/ab/j/o0448029914510052954.jpg?caw=800)
野崎屋敷へ登ります
西ライン先端を守る野崎屋敷
井戸と土塁(写真中ほどやや左)が残る
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/67/b1/j/o0314020914510052967.jpg?caw=800)
野崎屋敷に残る井戸
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/09/44/j/o0314021014510052973.jpg?caw=800)
土塁
この土塁先は大堀切22で、西ラインから侵入しようとする敵兵は、野崎屋敷の切岸に立ち往生し、回り込もうにも畝状空堀群に遮られ身動きできず大堀切22底で群れることになる。その群れた敵兵を撃つ所。
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/9d/0a/j/o0448029914510052978.jpg?caw=800)
土塁から大堀切22をみる
写真ではよくわからないが、向こう側に敷居があり、二重堀切としている。
では、回り込まれないように斜面に畝状空堀群を配している野崎屋敷西斜面から、大堀切22底へ行きます。
![イメージ 28](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/5f/63/j/o0448029914510052985.jpg?caw=800)
城内(北)から野崎屋敷西斜面へ
まず竪土塁で仕切られている。
![イメージ 29](https://stat.ameba.jp/user_images/20190722/23/mei881246/2a/40/j/o0448029914510052988.jpg?caw=800)
野崎屋敷西斜面
おっ、あれが畝状空堀群か?
急斜で、畝状空堀群などなくても回り込めないと思うけど。
ここを抜けるのは極めてスリリングで困難です。覚悟して気を付けていきましょう。
すみません。画像容量がいっぱいになってしまいました。その3-3として、この先書きます。
参考文献 氷見市教育委員会発行の氷見の山城