海老瀬城(氷見市余川) | えいきの修学旅行(令和編)

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海老瀬城
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 海老瀬城は湯山城に1.8kmの丘陵上に位置し、義仲道と呼ばれる能登と氷見を繋ぐ山街道がすぐそばを通っている。長沢善慶が居城、阿尾城を退去した菊池氏が居住したという伝承もあるが、天正13年、佐々が前田領末森城を攻め撤退した後、佐々の一大拠点湯山城に対し前田勢が築いた陣城と思われる。
 
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氷見市教育委員会発行の氷見の山城より引用
A郭はほぼ方形で、物見台としたのであろうか湯山城側に張出している。
B郭虎口には内郭から横矢を掛け、C郭虎口には前面に土塁を設け守り折れる。
織豊陣城遺構の特徴がみられる。
 
しかし、藪です。
 
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舗装林道から匂いのする道があり、突入。あたりでした。
 
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5分ほど進むと、発砲スチロールが吊るしてある地点があります。私は不気味さにけっこうビビッてました。
そこを過ぎて左の切岸?をあがります。
 
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なんとなく虎口ふう 
ここをあがります。 
 
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藪の向こうにD郭虎口 
足を捕られるほどではなく歩行は可能です。 
   
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D郭虎口 
ここから入らず、塁線を右に進むと後世の炭焼釜があり、そこから入りました。
  
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D郭虎口右の塁線 
 
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D郭塁線東端 
炭焼釜のわき、作業用に土塁が破壊されたのでしょうか、土塁がきれています。ここから入ります。
  
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入るとD郭東部 
B郭東虎口が折れ戻るようにあります。 
 
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B郭東虎口
ターンしますので、横矢がかかります。 
 
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B郭内
藪です。
右にA郭
B郭ーA郭間は低い土塁のみで堀はありません。
B郭ーC郭間は土塁と堀切があります。
さきにA郭へ 
 
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A郭虎口
写真、藪でよくわかりません。 
 
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A郭内から
 A郭虎口 
 
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A郭内
  
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A郭北西隅は張出している 
 
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張出部 
湯山城に向かって張出す位置で、湯山城を監視する物見台でもたっていたのでしょうか。
 またA郭西から北に一段低く配されたE郭に対し、横矢がかかります。
  
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E郭 A郭西下部 
E郭を南下すると、B郭ーC郭間の堀切が見れます。 
 
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B郭(左)ーC郭(右)間の堀 
 C郭は、A,B郭を守る馬だしとしての郭です。
  
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B郭からC郭への虎口
 
B郭からだと藪でよくわかりませんが、
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堀・土塁は折れを伴い、虎口にB郭から横矢がかかります。
さらにC郭からD郭へ折れ、虎口外に土塁が衝立てられ折れD郭へでます。  
 
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C郭がわから
 
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 線なし
 
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 C郭虎口を出ると土塁が衝立てられ、右に折れD郭へでます。
B郭ーC郭ーD郭の虎口連繋に、織豊陣城のフックとターンが見られます。
 
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D郭
 
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D郭ーC郭間の堀
 
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D郭西端
こちらには、C郭・D郭南の横堀ラインで、竪堀4・5が掘られ、まわり込みを妨害しています。
 
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竪堀4
 
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竪堀5 
 
  藪で、写真なかなか苦心しました。織豊陣城の雰囲気、伝わったでしょうか。
これが玄蕃尾城、杉山城と繋がると妄想すると、藪に埋もれた小さい陣城ですが、修学の甲斐がありました。 
もし物好きにも訪城をお考えの方がございましたら、時期を選ばれたほうが賢明と思います。
 海老瀬城書き終えて、いよいよ湯山城に懸かろうと考えています。
 
参考文献 氷見市教育委員会発行の氷見の山城